巴町砂場とは? わかりやすく解説

巴町砂場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 00:54 UTC 版)

巴町砂場
巴町砂場
(2016年5月2日撮影)
巴町砂場付近
店舗概要
所在地 105-0000
東京都港区虎ノ門三丁目11番13号
座標 北緯35度39分54.34秒 東経139度44分49.00秒 / 北緯35.6650944度 東経139.7469444度 / 35.6650944; 139.7469444 (巴町砂場)座標: 北緯35度39分54.34秒 東経139度44分49.00秒 / 北緯35.6650944度 東経139.7469444度 / 35.6650944; 139.7469444 (巴町砂場)
開業日 月曜 - 金曜日
閉業日 土曜・日曜日、祭日
正式名称 巴町砂場
営業時間 昼 午前11時 - 午後2時
夕 午後5時 - 午後8時
駐車台数 無し台
前身 久保町すなば
最寄駅 都営三田線御成門駅
東京メトロ日比谷線神谷町駅
最寄IC 首都高速都心環状線霞が関出入口
外部リンク 公式ウェブサイト
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寛政10年(1798年)、『摂津名所図会』、「砂場いづみや」の表口の挿絵[1]
寛政10年(1798年)、『摂津名所図会』、「砂場いづみや」の店内の挿絵[1]
寛政10年(1798年)、『摂津名所図会』、「砂場いづみや」の店内の挿絵[1]
嘉永2年(1849年)、『二千年袖鑒』、「津国屋」の表口の挿絵[2]

巴町砂場(ともえちょうすなば)は、東京都港区虎ノ門三丁目にあった江戸時代創業のそば屋。江戸以来、東京の「砂場」は、ふたつの系統が伝えられてきた、そのうちのひとつの本家。

概要

1815年文化12年)、『江戸の華名物商人ひやうばん』板の番付に、「茅場町すなば大坂屋」と「久保町すなば(現・巴町砂場)」の2軒が登場[3]していることは明らかだが、創業年は不明である。1839年天保10年)、「久保町すなば」は虎ノ門から天徳寺門前町に移転、「巴町砂場」初代・萩原長吉となる。その後、町域全体が御用屋敷になるため、久保町の町家がすべて立退きになった。

巴町砂場は、「糀町七丁目砂場藤吉(現・南千住砂場)」とともに江戸時代から続く老舗で、江戸・東京を代表する「砂場」の暖簾である。嘉永元年(1848年)、江戸名物のひとつとまで評価された「糀町七丁目砂場藤吉」は、幕末維新当時の十一代目・長岡保が、動乱の時代にも暖簾を守り続け「本石町砂場(現・室町砂場)」と「琴平砂場(現・虎ノ門大坂屋砂場)」の2軒を輩出した。

1848年嘉永元年)、『江戸名物酒販飯手引草』には、「砂場」を名乗るそば屋として、「砂場そば糀町七丁目砂場藤吉(現・南千住砂場)」、「砂場そば茅場町定七」、「砂場そば深川御舟蔵前須原屋久次郎」、「兼房町砂場安兵衛」、「浅草黒舟町角砂場重兵衛」、「本所亀沢町砂場兵蔵」の6軒が掲載させている。

砂場」の由来は、豊臣秀吉大阪城を築いたとき、大阪の和泉屋というお菓子屋が、資材の砂置き場に蕎麦屋を開店し、「砂場」と呼ばれていたのに始まる。徳川家康江戸城を築くときは、江戸に進出し糀町に店を構えた。

沿革

  • 1583年天正11年) - 豊臣秀吉大阪城築城に着手。
  • 1629年寛永6年) - 大阪城が完成した後、砂場跡地一体帯を整備した新町に、官許の遊郭が建設され、新町遊郭は江戸吉原京都島原 (京都)、と並び称される一大遊里となる。
  • 1730年享保15年) - 『絵本御伽品鏡』、長谷川光信画、千草屋新右衛門、享保15年(1730年)には、「いづミや」という暖簾を掛けた麺類屋がある、当時の大坂市中の名物を狂歌とともに紹介した絵本である[4]
  • 1757年宝暦7年) - 『大坂新町細見之図澪標』、「廓名物之分」、宝暦7年(1757年)には、大阪城築城のさいの、資材の砂や砂利の置き場になった新町砂場地域には、「和泉屋」と「津国屋」の2軒の麺類屋があった[5]。細見とは、江戸・吉原の妓楼や遊女名、玉代などを事細かに記した遊郭案内書[3]。「和泉屋」と「津国屋」の初代は、どちらも和泉国(現・大阪府南部)の出身である。
  • 1777年安永6年) - 『富貴地座位』、安永6年(1777年)には、三都(京・江戸・大坂)の名物を紹介しており、浪花名物の「和泉屋」について記している。
  • 1798年寛政10年) - 『摂津名所図会』、寛政10年(1798年)には、「砂場いづみや」として挿絵入りで紹介している[1]。挿絵は店の表口の様子と店内の光景をで、いかにも大店らしい立派な構えで、牡蠣殻葺きの庇の下には「すな場」と染め抜かれた暖簾がかけられている。店内は広大な土間に座敷の島がいくつも置かれ、座敷の間の通路は町中の往来のように広い。店の裏側には、鰹節の蔵、そばの蔵、麦の蔵、醤油の蔵に、臼十二と書かれた臼部屋がある[3]
  • 1815年文化12年) - 『江戸の華名物商人ひやうばん』板の番付に、「茅場町すなば大坂屋」と「久保町すなば」の2軒が登場する[3]
  • 1839年天保10年) - 「久保町すなば」は虎ノ御門から天徳寺門前町に移転、「巴町砂場」初代・萩原長吉となる。その後、町域全体が御用屋敷になるため、久保町の町家がすべて立退きになった。
  • 1848年嘉永元年) - 『江戸名物酒販飯手引草』には、「砂場」を名乗るそば屋として、「砂場そば糀町七丁目砂場藤吉」、「砂場そば茅場町定七」、「砂場そば深川御舟蔵前須原屋久次郎」、「兼房町砂場安兵衛」、「浅草黒舟町角砂場重兵衛」、「本所亀沢町砂場兵蔵」の6軒が掲載させている。
  • 1849年(嘉永2年) - 『二千年袖鑒』、伊豫屋善兵衛、嘉永2年(1849年)には、「津国屋」の外観を描いた挿絵がある、牡蠣殻葺きの庇の下に「すなば」と書かれた暖簾がかけられている[2]。牡蠣殻葺きは享保頃(1716年-1736年)から江戸や大坂などの町屋で防火上用いられた、店構えは「和泉屋」の表口の様子と似ている[3]
  • 1869年明治2年) - 天徳寺門前町と新下谷長、車坂町が合併して西久保巴町の改称され、店名も「巴町砂場」となる。
  • 1893年(明治26年) - 「巴町砂場」初代・萩原長昭が85歳で亡くなる。
  • 1933年昭和8年) - 暖簾会「砂場長栄会」を結成、初代会長に「南千住砂場」十二代目・長岡紋治郎が務める。
  • 1955年(昭和30年)11月 - 「砂場長栄会」から暖簾会「砂場会」に受継がれ、会長「虎ノ門大坂屋砂場」稲垣一男、副会長「南千住砂場」十三代目・長岡源太郎、ほか2名、相談役「巴町砂場」萩原長康と「室町砂場」三代目・村松茂となる。
  • 1956年(昭和31年)11月1日 - 「砂場」と「すなば」の商標登録が正式に認可、会員数は28軒。その後、商標登録は「す奈ば」、「寿那ば」、「寿奈ば」が加えられた。
  • 1978年(昭和53年) - 「巴町砂場」三代目・萩原長康が83歳で亡くなる。
  • 1985年(昭和60年)3月 - 大阪新町南公園に「ここに砂場ありき」の石碑が建立され、二代目会長の「巴町砂場」四代目・萩原長昭ほか出席し除幕式[6]
「昔の東京では、店の場所でもって何代目っていうしきたりなんです。つまり、場所が変われば、そこではじめて初代を名乗るわけ。だから私は、ここに移転してから数えて四代目ということにしています」

— 『巴町砂場』四代目・萩原長昭[3]

  • 1988年(昭和63年) - ビル内に移転。
  • 2017年(平成29年)6月30日 - ビルの契約満了に伴い閉店。

交通アクセス

鉄道

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d 『摂津名所図会』、秋里籬嶌著、竹原春朝齋図画、森本太助、寛政10年(1798年)
  2. ^ a b 『二千年袖鑒』、伊豫屋善兵衛、堀田両平氏寄贈、嘉永2年(1849年)
  3. ^ a b c d e f 『蕎麦屋の系図』、岩崎信也著、「砂場の系図」、光文社、2011年(平成23年)7月20日、2016年2月20日閲覧
  4. ^ 絵本御伽品鏡』 - 国立国会図書館デジタルコレクション - 長谷川光信画、千草屋新右衛門、享保15年(1730年)、2016年4月11日閲覧
  5. ^ 大坂新町細見之図澪標』 - 国立国会図書館デジタルコレクション - 靖中菴畫、「廓名物之分」、和泉屋卯兵衞、宝暦7年(1757年)、2016年4月11日閲覧
  6. ^ 「老舗そば屋の碑 江戸のツルッ 大阪生まれ」 - 朝日新聞、2011年(平成23年)5月11日、2016年4月10日閲覧

関連項目

近隣施設

外部リンク


巴町砂場

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砂場 (蕎麦屋)」の記事における「巴町砂場」の解説

東京都港区虎ノ門(旧・芝西久保巴町)にて、1839年から2017年まで営業していた。江戸時代記録がある「久保町すなば」が移転して存続したもの(なお、巴町砂場と、糀町から分岐した虎ノ門大坂屋砂場は、非常に近いところにある)。

※この「巴町砂場」の解説は、「砂場 (蕎麦屋)」の解説の一部です。
「巴町砂場」を含む「砂場 (蕎麦屋)」の記事については、「砂場 (蕎麦屋)」の概要を参照ください。

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