崩壊への道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 18:12 UTC 版)
第一次世界大戦では、連合国側で遅れて参戦しルーマニア戦線を構築するが中央同盟国に敗北、ブカレスト講和条約(英語版)に調印しドブロジャを割譲するが、ヴェルサイユ条約によりブカレスト講和条約は破棄され、1918年12月1日にトリアノン条約を締結してブコビナ、トランシルヴァニア、ベッサラビア、そして一度は失ったドブロジャを獲得し、領土を2.5倍、人口を3倍にさせて大ルーマニアを実現した。 しかし大戦後、ロシア革命の影響によりルーマニアでも共産主義勢力が伸長。コルネリウ・コドレアヌ率いる鉄衛団は、その原因を国内のユダヤ人にあると考え、反共主義・反ユダヤ主義を掲げて支持を広げ議会で多数の議席を占めるようになる。国王カロル2世は彼等の影響力を嫌い、1938年政府を解散し自身の独裁体制を敷いた。 第二次世界大戦では、日独伊三国と同じく枢軸国側で参戦。ナチス・ドイツの圧力の下、独ソ不可侵条約を受けてホルティ政権下のハンガリー王国がトランシルヴァニアに進駐。更に南ドブロジャをブルガリアに割譲した。また、ソビエト連邦もブコビナとベッサラビアを占領した。これらの領土喪失に無為だった国王カロル2世に対する国民の不満は頂点に達し、1940年の軍部クーデターによりカロル2世は退位に追い込まれた。10月12日にはドイツ軍がブカレストに進駐し、同時期に三国同盟に加入。これ以後内政にも介入されるようになる。1941年6月22日にはドイツなどと連名でソ連に宣戦を布告、南方を中心として部隊を拠出する。1944年、再度のソ連侵攻に伴う政変によって連合国側に鞍替えし、ナチス・ドイツと戦火を交えた。
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