山縣神社とは? わかりやすく解説

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山県神社

読み方:ヤマガタジンジャ(yamagatajinja)

別名 大弐さん

教団 神社本庁

所在 山梨県中巨摩郡竜王町

祭神 山県大弐

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

山縣神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 06:47 UTC 版)

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山縣神社
所在地 山梨県甲斐市篠原190
位置 北緯35度39分27.9秒 東経138度31分20.2秒 / 北緯35.657750度 東経138.522278度 / 35.657750; 138.522278座標: 北緯35度39分27.9秒 東経138度31分20.2秒 / 北緯35.657750度 東経138.522278度 / 35.657750; 138.522278
主祭神 正四位山縣大弐命
社格 県社
創建 大正10年(1921年
例祭 9月23日
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山縣神社(やまがたじんじゃ)もしくは山県神社は、山梨県甲斐市にある神社

祭神

祭神の山縣大弐は、江戸時代中期の儒学者思想家で、尊皇思想を鼓吹していた。しかし大弐の門弟には上野国小幡藩の藩士が多かったことから、小幡藩のお家騒動に巻き込まれ、その際の摘発により大弐の思想が発覚、大義名分論を掲げ幕政を批判していたことから、1767年明和4年)に処刑された(明和事件[1][2]

歴史

明治になり、尊皇攘夷思想を鼓吹した思想家や志士たちを顕彰する動きが高まってきた。1880年(明治13年)、明治天皇は山梨県行幸の際に、山縣大弐を評価し、祭祀料を賜る栄誉を与えた。1891年(明治24年)には正四位追贈された[3][2]

これを機に、地元の偉人として山縣大弐を顕彰すべく「山縣会」が発足し、山縣大弐を祭神とする神社を創建することになった。1921年大正10年)に神社は創建され、近代社格制度における県社となり[3][2]1974年昭和49年)には伊勢神宮第60回式年遷宮の旧神殿の用材を賜る栄誉を受けている[3]

山縣大弐は学者・思想家だったことから、「学問・教育の神」として崇敬されている。毎年9月23日に「大弐学問祭」が開催されている[4][3]

当社には山縣大弐直筆の書物を所蔵しており、また境内には、大弐の墓や歌碑がある[2]

文化財

  • 山縣神社本殿(登録有形文化財 平成28年8月1日登録)[6]
  • 山縣神社鳥居(登録有形文化財 平成28年8月1日登録)[7]
  • 山県大弐自筆著書並墨書 発音略1巻・天経発蒙8巻・琴学発揮2巻・制作図式1巻・熱海浴泉歌1幅・寄厳仲説兄詩1幅・雪車詩1巻(山梨県指定有形文化財 昭和44年11月20日指定)[8]
  • 山県大弐の墓(甲斐市指定史跡 昭和52年6月25日指定)[9]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ 山縣神社やまなし観光推進機構「山梨の歴史を旅するサイト」
  2. ^ a b c d 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年、215-217p
  3. ^ a b c d 山縣神社山梨県神社庁
  4. ^ 山縣神社(やまがたじんじゃ)やまなし観光推進機構「富士の国やまなし観光ネット」
  5. ^ 甲斐保勝協会編『甲斐勝景写真帳』昭和初期の「山縣神社」昭和7年(1932年)発行、国立国会図書館蔵書、2017年10月21日閲覧。(2022年5月22日)
  6. ^ 山縣神社本殿文化庁
  7. ^ 山縣神社鳥居文化庁
  8. ^ 山梨の文化財ガイド(データベース)書跡03山梨県
  9. ^ 山県大弐の墓甲斐市

参考文献

  • 山梨県高等学校教育研究会地歴科・公民科部会 編『山梨県の歴史散歩(歴史散歩19)』山川出版社、2007年

山県神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 09:52 UTC 版)

山県大弐」の記事における「山県神社」の解説

山県神社(やまがたじんじゃ)は山県大弐祭神として、山梨県甲斐市篠原鎮座する神社である。また、山県大弐江戸に塾を開き儒学医学兵学など多く伝えたことから地元では「学問の神様」とされ合格祈願学業成就を主に参拝されている。 1880年明治13年)の明治天皇山梨御巡幸際し山県大弐祭典執行について祭祀料6月21日に賜れるとともに6月22日には金剛寺山県大弐墓地勅使遣わされている。1891年明治24年12月17日には特旨を以て正四位追贈された。1901年明治34年)には山県神社創設目的とし、山梨県知事総裁とする山県会が設立され逐次寄附金募集が行われた。その後1919年大正8年9月8日に山県神社奉建会が設立され1921年大正10年)に山県大弐墓所がある中巨摩郡竜王村篠原金剛寺隣接地社殿造営され神社創建された。 山県神社は甲府市武田神社などと同様に1921年大正10年9月21日県社に列せられ、1933年昭和8年11月26日発足した山県神社奉賛会によって運営が行われた。武田神社比べて現在は県内における知名度は劣るが、当時例大祭では露天並び神楽相撲大会をはじめさまざまな行事が行われ、戦前には地域竜王尋常高等小学校などの早朝参拝が行われ、出征兵士を送る壮行会神前報告が行われる場として機能していた。戦後には一度奉賛会解散し1964年昭和39年)には当時竜王町新たに奉賛会発足させ、歴代町長奉賛会長を務め自治会単位理事選出され古くからの総代会とともに神社運営にあたっている。 現在例大祭神社創建鎮座された日にちなみ秋分の日9月23日)に行われ山県大弐扮し仮装行列神輿参道練り歩く市の「大弐学問祭」が盛大に開催されている。 (山県神社位置

※この「山県神社」の解説は、「山県大弐」の解説の一部です。
「山県神社」を含む「山県大弐」の記事については、「山県大弐」の概要を参照ください。

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