就役・増備の中止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:09 UTC 版)
「国鉄EF58形電気機関車」の記事における「就役・増備の中止」の解説
品質が極めて粗悪だったために就役当初から故障や事故が頻発し、一時は製造中止措置や使用中止命令が出された時期もある。また、労働組合による乗務拒否運動もあった。 製造期間の途上で徐々に品質の改善は進められ、製造時期やメーカーによりデッキの段数や車体高さ、細部の仕様にバリエーションがあった。実際の製造はメーカーに番号を割り当てて進められたが、それぞれの資材調達・工程進捗状況に差があったために必ずしも番号順になっていない。最初に就役したのは、1946年10月落成の21号機(川崎電気・川崎車両)である。1948年の増備中断の時点で日立担当分の6・7号機、三菱担当分の14号機が未着工であり、それらは後述の東芝製の在庫車によって穴埋めがなされている。 1 - 30号機が製造途中の1948年に増備車20両の発注がキャンセルされ、結局31両が就役したところで製造中止となった。 特に増備車への対応が極めて早かった東芝(当時・東京芝浦電気)では、増備車の製造凍結が確定した1948年初頭時点で受注予定の31 - 38号機と見込み生産分1両を手がけており、既に4両が完成状態であったため、国鉄は他メーカーで未着工であった3両分を東芝に肩代わりさせ、31号機のみ増備車として引き取った。東芝でデッドストックになった5両分の車体がのちにEF18 32 - 34・EF58 35・36へ転用された。 1948年3月から翌年9月にかけて、高速度遮断器の装備や高圧回路の引き直し、一部車体の改造を行い保安度を向上させる改造が行われた。「第一次装備改造」とも呼ばれる。1948年1月までに製造された19両が対象になった。 のちに1953年から1957年にかけて行われた新造の半流線型車体への載せ替え改造で捻出された古い箱型車体は、凸型の簡易車体だったEF13形に機器ごと転用された。寸法がほぼ合致し両数もちょうど同じ31両で、全車の車体載せ替えが実現した。
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