小田島・M両被告人の関与が浮上
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「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「小田島・M両被告人の関与が浮上」の解説
その一方で、2004年11月、小田島・M両名と同じ宮城刑務所にいたという男性が、2人を名指しした上で事件について「同じような計画を話していた人間を知っている。情報を買ってくれないか」と、マブチモーター本社に電話で連絡した。 その1か月後の2004年12月、2人の知人を名乗る関西在住の男性から、松戸東署捜査本部に対し、「小田島・Mの2人が事件に詳しい」という、2人を名指しした内容の情報が寄せられた。その情報提供者は「小田島から馬渕邸の強盗に加わるように誘われたが、断った。その後、小田島らから『(本事件は)俺たちがやった。一家を皆殺しにした』などと聞かされた」などと証言した。 それまでの捜査は、犯行動機についても「金目当て」「怨恨」の間で揺れ、犯人像さえ絞り込めずに難航していたが、この男性が挙げた小田島らの名前・住所は具体的・正確で、「小田島が『家族に見つかったら、殺して火を点けてでも逃げる』と話していた」という証言は、実際の犯行とかなり共通していた。また本事件で殺害された被害者は、目・口を粘着テープで覆われていたが、「犯人」として挙げられた小田島は、過去に粘着テープを使った強盗・監禁事件(練馬三億円事件)を起こしていたことから、前件と手口に類似性が見られた。 『中日新聞』報道では、「男性の証言が具体的で、小田島の前科とも類似性が見られることから、捜査本部は裏付け捜査を進めた上で、2人の窃盗事件の捜査に目途が付き次第、本格的な捜査に着手する方針だ」と報じられた。2005年4月30日、いずれも中日新聞社発行の『中日新聞』2005年4月30日夕刊・『東京新聞』同日朝刊で、小田島らが本事件に関与した疑いが取り沙汰された。 この頃から、前橋地裁・簡裁で進行中の被告人2人の公判に報道陣が詰め掛けていたが、2人は終始伏し目がちで、傍聴席にはほとんど目を向けず淡々と公判に臨んでいた。2人は起訴後、群馬県内の別々の場所に拘置されていたが、本事件への関与が取り沙汰された直後、被告人・小田島に弁護人が持ってきた新聞には「小田島ら2人が、本事件に関与した疑いが強まったとして、千葉県警が近く身柄を移し事情を聴く」という内容の記事が掲載されていた。この記事を読んだ小田島は2005年5月、M宛に「出所したら、また一緒に(盗みを)やろう。千葉に行くかもしれないが大丈夫だ。俺は体も悪く、1人で生活するのも大変だから、養子縁組をしてほしい」などと書いた手紙を送っていた。 千葉県警松戸東署捜査本部は前述の情報提供を受け、小田島・M両被告人の周辺を捜査した結果、他人名義のパスポートを使った出国が確認された。このため、その出国と事件との関係を調べるため、2005年6月頃、滞在先のフィリピンに捜査員を派遣した結果、小田島らの知人だという現地女性らから、現地での2人の行動などについて事情を聴くことに成功した。
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