小田島のその後
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小田島はこの事件で、懲役12年の有罪判決が確定し、宮城刑務所に服役した。その後、殺人罪で懲役12年の刑が確定し服役していた男と出会い、親しくなった小田島は2002年(平成14年)6月25日に刑務所を仮出所した。その2か月後、先に出所していたMと行動を共にし、マブチモーター社長宅殺人放火事件など、後に警察庁広域重要指定第124号事件に指定された3件の連続殺人事件を起こした。 2007年(平成19年)3月22日、千葉地方裁判所で、小田島に死刑判決が言い渡された。小田島は東京高等裁判所に控訴したが、同年11月1日付で取り下げ、死刑が確定した。 その後、死刑囚として東京拘置所に収監されていた小田島(この時の姓:畠山)は、2017年(平成29年)1月下旬、食道がんであることが判明した。本人の意思で、痛み止めなどにより症状を緩和する治療を拘置所内で受けていた小田島だったが、同年9月16日夜に容体が急変し、同日午後10時半頃、東京拘置所内で、74歳で病死した。 詳細は「マブチモーター社長宅殺人放火事件」を参照
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