小型の撮影機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:03 UTC 版)
1920年代からは、記録映画やニュース映画、アマチュア映画向けの小型映画用撮影機・映写機の開発を開始する。家庭用に成功を収めアマチュア映画のムーヴメントを生み出した16mm撮影機フィルモ(1923年末)、報道の分野で戦後のテレビ界でも活躍した35mmハンディカメラアイモ(1925年)、オートロードEE(Autoload EE, 1956年)といった撮影機を製造した。16mmフィルム用のサイレント、サウンドの両映写機や、16mmフィルム用の軍用ガンカメラN-6A型撮影機等である。 1926年10月4日、阪妻・立花・ユニヴァーサル連合映画の撮影所にカール・レムリが送り込んだ6台の撮影機は、いずれも同社の製品であった。1928年からは、京都の大沢商会が同社の光学機械の輸入を開始、大澤善夫はやがて1933年、J.O.スタヂオ(現在の東宝の前身の一社)を設立するに至る。 1934年、同社は初めての軽量小型の8mm撮影機を発表、フィルムカセットを導入した。以降、スタンダード8mmフィルム、1965年以降は、スーパー8mmフィルム向けの撮影機と映写機を製造した。 1935年、同社は第7回アカデミー賞において、「全自動音響および焼付け機材の開発」に対し、アカデミー科学技術賞が贈られた。 1946年には、マイクロフィルムの製造を開始している。1948年に発売したスチルカメラ「フォトン」は短命に終わった。ほかにも、スライド映写機や、オーバーヘッドプロジェクタなどを手がけた。1949年から1964年まで、後の政治家チャールズ・パーシーが社長を務めた。パーシーの経営によって売上高は32倍増に飛躍し、ニューヨーク証券取引所で株式を公開するに至る。 1954年、同社は第26回アカデミー賞において、「映画産業の進歩における開拓者的、基本的功績」に対し、アカデミー名誉賞を受賞した。 1961年から1976年にかけて、日本の企業キヤノンと提携、スチル写真用のカメラを製品のラインナップに載せた。35mm一眼レフカメラは、キヤノンがベル&ハウエルのロゴをつけて製造したものである。キヤノン キヤノネットシリーズ、キヤノン デミシリーズ等である。ベル&ハウエルは、1970年代の初期には、映画用撮影機の生産をやめていた。 1962年および1963年の5月、同社が提供するABC(アメリカン・ブロードキャスティング・カンパニー)のドキュメンタリーテレビ映画の冠番組『ベル&ハウエル クローズアップ!』が、第14回および第15回プライムタイム・エミー賞で各賞にノミネートされる。 同年11月22日、ケネディ大統領暗殺事件を偶然撮影したダラス市民エイブラハム・ザプルーダーが使用したカメラが、同社の414PD式8mm撮影機ズーマティックであったため、同機は「ザプルーダー・カメラ」と呼ばれるようになる。 「ザプルーダー・フィルム」も参照
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