対日戦での活躍とは? わかりやすく解説

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対日戦での活躍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/26 09:21 UTC 版)

傅作義」の記事における「対日戦での活躍」の解説

1930年民国19年5月閻錫山らが反蒋介石中原大戦発動すると、傅作義は第4路軍指揮官などをつとめた。閻が敗北すると、張学良配下転じる翌年5月第35軍軍長任命され、さらに8月には、綏遠省政府主席となった傅作義は、綏遠省内政でもその手腕を発揮し治安維持農村基層組織改革金融整理都市農村建設教育事業などに好成績をあげた。 9月満州事変発生すると、徐永昌宋哲元らと連名抗日声明文発した1933年民国22年1月日本軍山海関攻撃して長城抗戦勃発すると、傅は翌月第7軍団総指揮任じられる4月末に自ら第59軍を率いて張家口から昌平急行した5月23日、傅は日本軍第8師団交戦開始し激戦により双方ともに大きな損害出した6月末、傅は綏遠省引き返している。 1935年民国24年4月傅作義陸軍2級上将昇進した翌年11月李守信率い蒙古軍政府軍と王英率い大漢義軍綏遠省侵攻してくると、傅はこれを迎撃駆逐しようとする。傅は11月24日、百霊廟蒙古軍政府軍を撃破し12月4日には、これを完全に駆逐し勝利を収めた綏遠事件)。 1937年民国26年以降日中戦争抗日戦争)では、傅作義第2戦区第7集団軍総司令第2戦区北路軍総司令第8戦区副司令などを歴任している。忻口戦役太原防衛戦五原戦役など大きな戦い参戦した。傅の戦績良好で、1939年民国28年)には国民政府から青天白日勲章授与されている。抗戦中の傅は中国共産党八路軍)ともよく連携し自軍強化のために軍事交流行った。しかし、このため閻錫山から「赤化」「七路半軍」との非難浴びている。 抗戦勝利直前1945年民国34年7月、傅は第12戦司令長官任じられた。勝利後は熱河省察哈爾省綏遠省日本軍降伏受諾事務担当している。

※この「対日戦での活躍」の解説は、「傅作義」の解説の一部です。
「対日戦での活躍」を含む「傅作義」の記事については、「傅作義」の概要を参照ください。

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