対日戦争の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/19 17:56 UTC 版)
「ジョン・J・マクロイ」の記事における「対日戦争の終結」の解説
マクロイはトルーマン大統領に、日本本土への侵攻は賢明ではないと説得した。1945年半ばになると、日本は戦争を終わらせる方法を模索し始め、日米和平の仲介をソ連に依頼するまでになっていた。マクロイは、解読した日本の通信によって、天皇による統治(国体護持)の保証があれば、日本に降伏する用意があることを知っていた。そこで、マクロイはトルーマンに、日本への原子爆弾投下という暗黙の脅しと、国体護持の保証をセットにした降伏条件を提示するよう助言した。そうすれば、日本の本土侵攻を阻止するために原爆投下が必要になったとき、アメリカが道徳的に優位に立てると主張したのである。しかし、マンハッタン計画の責任者の一人だったジェームズ・F・バーンズ国務長官は、ポツダム会談に向かう船の中で、マクロイの助言を無視するようトルーマンを説得した。最終的にトルーマンは、準備ができ次第、日本に原爆を投下するように命じた。
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