家督継承と世良田宿の掌握とは? わかりやすく解説

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家督継承と世良田宿の掌握

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 05:20 UTC 版)

新田義貞」の記事における「家督継承と世良田宿の掌握」の解説

文保2年1318年1月2日、父の朝氏が45歳死去したことにより、義貞が新田氏本宗家の家督継承し8代当主となった。 だが、義貞が家督継承した頃の新田宗家地位低かった新田氏上野源氏)はもともと河内源氏3代目である源義家の四男・義国の長子である新田義重始まり広大な新田荘開発していたが、義貞の代には新田氏本宗家の領地新田荘60郷のうちわずか数郷を所有していたに過ぎず、義貞自身無位無官日の目浴びない存在であった加えて足利氏比べると、新田氏北条得宗家との関係が険悪で、鎌倉幕府から冷遇されていた。文保2年1318年10月に義貞が長楽寺再建のため、所領一部売却した際の書状残っているが、それに対して12月幕府発給した安堵状には、売主新田「貞義」と誤記されており、鎌倉幕府での新田本宗家の地位低さ表している。 世良田満義大舘家氏など、新田一門面々も義貞同様に所領一部売却していた。本来であれば手続きの折は宗家承諾を得なければならないところだが、宗家当主である義貞の承諾があった形跡はない。また、元亨2年1322年10月大舘宗氏(家氏の子)が岩松政経に「一井郷沼」(市野井湧水)の用水掘を打ち塞いだ訴えられた際には、両者新田一門であるにもかかわらず義貞を無視して幕府裁定仰ぎ幕府裁許状下している。 また、義貞は先述文保2年1318年)に長楽寺再建の際に、私領一部世良田宿の有徳人である大谷道海の娘・由良孫三郎影長の妻に売却している。大谷道海北条得宗家ともつながりあり、かつては単純に新田氏本宗家の経済的衰退得宗勢力新田荘への進出一環として解されてきたが、そもそも一族世良田氏菩提寺であっても新田氏とは関係のない長楽寺再建関わる必要がないまた、前述のように世良田氏大舘氏所領売却しているが、新田氏本宗家の売却群を抜いていた。そこで注目されたのは、世良田宿は長楽寺門前町交通の要所として当時北関東屈指の経済都市であったという事実である。当時長楽寺庇護していた世良田氏衰退して長楽寺再建積極的に関与できる状況ではなく、そこに目をつけた義貞が「売寄進」という方法世良田有力者である道海介在させて長楽寺寄進を行うことで世良田氏に代わって長楽寺及び世良田宿の庇護者となってその経済的権益掌握目指したもので、併せて得宗勢力との関係強化図ったものであったとみられている。新田本宗家による世良田宿の支配近隣武士に対して排他的なものではなく本宗家が世良田宿を彼らの経済活動の場として提供し保護する共生」関係を築くことで彼らへの影響力強めた考えられている。また、義貞は得宗被官御内人)の安東氏から妻を迎えており、世良田宿の掌握による経済力強化得宗勢力への積極的な接近通じて衰退した新田氏本宗家の勢力回復乗り出していたと考えられている。

※この「家督継承と世良田宿の掌握」の解説は、「新田義貞」の解説の一部です。
「家督継承と世良田宿の掌握」を含む「新田義貞」の記事については、「新田義貞」の概要を参照ください。

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