家督相続前の状況
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 11:30 UTC 版)
下野国に4,370石余りを領する旗本、岡本義保の長男として生まれる。 父義保は晩年、次男の万吉を蘆野資泰の養子にする計画を蘆野氏側から一方的に破断にされて面目を潰された事に憤り、跡継ぎとなる男児の無かった弟である岡本保真(1,000石)の娘と万吉を婚約させ、万吉に1,000石を分与して保真の家を嗣がせようとしていた。 これによって万吉を蘆野氏とほぼ同等の2,000石の江戸詰の旗本として蘆野氏を見返そうという計画で、これを保真も了解し、幕府への分地願いも出したが、それが受理される前の寛永18年(1641年)12月29日、義保が没し、この話はいったん延期となる。
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