家督相続を巡る内紛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:35 UTC 版)
清武の死後、親族間で男爵家の家督相続を巡る内紛が起きる。清武はジャーヌと結婚した際に宮内省にむけて願書を送ったものの、ジャーヌが外国人であることなどを理由に宮内省から許可が得られず、未入籍のまま死去していた。その結果、長男清鴻・次男清旭の親権者が法的に不在となり、ジャーヌと親族の双方が親権をめぐって争った。一時は外務省や駐日フランス大使をも巻き込んだ騒動となり、また調停裁判を経たものの決着はつかず、義理の兄である朝日新聞の軍事顧問の河野恒吉少将が人種差別的理由により強硬に、親戚一同が押捺する必要のある書類への押印を拒否したため、1928年4月6日、華族令第12条第2項の規定により襲爵権は消滅してしまった。
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