家祖の伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 14:46 UTC 版)
『新編相模国風土記稿』によれば、明王太郎の家系は奈良時代まで遡る。家祖は名を金丸太郎文観といい美濃国岐阜に住んでいた。文観は十六歳のとき聖武天皇の勅により東大寺造立の棟梁を務め、後に東大寺初代別当良弁僧正に従って相模国に下り、勅願によって開かれた大山寺の造営でも棟梁を務めた。そのとき大山寺本尊 不動明王のお告げがあり、以降は「明王太郎」と称して代々の名跡とし、大山寺・大山阿夫利神社の修造には必ずその子孫が棟梁を務めるようになったとされる。
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