家督継承前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 08:20 UTC 版)
揚北衆佐々木党の一人(加地氏庶流)。当初は五十公野家を継いで五十公野 治長(いじみの はるなが)と称していた。上杉謙信に仕え、川中島の戦い(第4次川中島の戦いで諸角虎定を討ち取ったのは新発田勢とも言われている)や関東出兵などに参加する。謙信の死後に起こった御館の乱では安田顕元の誘いに応じて上杉景勝を支持し、上杉景虎方についた同族の加地秀綱を降し、三条城の神余親綱を討ち、乱に介入した蘆名盛氏・伊達輝宗の兵を退けるなど大いに活躍した。 天正8年(1580年)、兄の死により新発田家に戻って家督を相続し、新発田重家と名乗った。
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