定紋・代表紋・替紋とは? わかりやすく解説

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定紋・代表紋・替紋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 18:25 UTC 版)

家紋」の記事における「定紋・代表紋・替紋」の解説

源平藤橘物部大伴呼ばれる氏族権力全盛期であった頃、何千という名字生まれその後次第家紋用いられ始める。家紋生まれて間もない鎌倉時代平安時代江戸時代元禄頃とは違い家紋種類や形は多くはなかった。そのため、美しく人気のある家紋描きやすい単純な図案家紋ほど好まれる傾向にあり、同名であっても異な家紋利用しているケースもあれば、異名であっても同じ家紋利用していることがあった。 同じ氏族の中で比較多く使われている家紋は代表紋だいひょうもん)、または表紋おもてもん)といい、その氏族代表的な家紋として扱われていた。例えば、藤原氏から分かれた長家那須といった支流では、もっとも使用されている家紋の「一文字紋」を代表紋としている。また、当時武士の間では同名字でも複数異な家紋使用することが一般的であったため、公式に示すための正式な家紋が必要とされた。そういった各個人が決まって用い家紋のことを定紋じょうもん)または「本紋」や「正紋」という。基本的に諸大名将軍家では定紋嫡子だけにしか継がせなかったため、また時代とともに一家系で持ちうる替紋の数が増えるに連れて定紋権威価値必要性強まっていった。「替紋かえもんたいもん)」とは、本来の家を示す公式的な家紋である定紋以外の家紋のことである。替紋は「裏紋」、「別紋」、「副紋」、「控紋」などともいう。後述しているが、家同士での家紋のやりとり頻繁にあり、家紋自由に創作することがあった。そのため、本来の家紋の意味逸脱した家紋多く持っている家もあった。例えば、伊達政宗らの仙台伊達家使用した家紋数が多いことで知られ江戸中期には、定紋の「仙台笹」を初めとして、「伊達鴛鴦(だておしどり)」「九曜(くよう)」「丸の内に竪三つ引まるの うちたてみつひき)」「雪輪に薄(ゆきわにすすき)」「'八つ(やつなずな)」「五七桐」「十六」、の7つ替紋用いている。 定紋の例(筑前黒田家)「.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}黒田巴(くろだふじともえ)」 替紋の例(筑前黒田家)「黒餅こくもち)」

※この「定紋・代表紋・替紋」の解説は、「家紋」の解説の一部です。
「定紋・代表紋・替紋」を含む「家紋」の記事については、「家紋」の概要を参照ください。

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