家紋のやりとり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/27 07:36 UTC 版)
家紋は度々、人から人へ譲渡の対象になっている。しかし、当時も2018年現在も家紋に関する使用の制限は特別な紋章を除いてなかったため、家紋を譲渡した側の人間はその家紋の使用を制限されるというわけではない。 例えば、皇室の家紋である菊花紋章(菊紋)が挙げられる。天皇は功績のある者へ、例えば豊臣秀吉などに授けている。またさらに、天皇から授かった桐紋などを将軍等の有力者が、功績のあった優秀な家臣や家来に授けることがあった。その習慣は室町時代まで遡り、足利義満が細川頼之に自身の家紋を贈紋したことから始まったといわれる。こうした上位の者が下位の者へ家紋を下賜することを賜与(しよ)といい、授かった家は一家の大名誉として喜んだといわれ、与えられた紋を拝領紋という。室町幕府13代将軍足利義輝が織田信長の父織田信秀に桐紋を授け、その後、信長にその桐紋が父から引き継がれた。その桐紋を肩衣につけた信長の肖像画が長興寺に保存されている。同様の例として豊後大友氏の「抱き杏葉」があり、その紋を授かった者を「御同紋衆」と呼び、重用したという。その逆で、家臣の家紋を主君が用いることを「召し上げ」といい、家臣である本多家または酒井家の家紋を主君である松平家が譲り受けたといわれる「三つ葉葵」の例がある。ほかに、戦勝者が戦敗者の家紋を奪う「奪取」の例には、龍造寺氏が豊後大友氏からの大勝を得た戦勝記念として用いた「抱き杏葉」がある。使用者に無断で使用者の関係者を偽ってその家紋を潜用(僭用)することによって移動することもある。 身分の変わらない同格者同士による家紋の譲渡もあったが、家督の相続や、婚姻によるものが大半である。例に、山内上杉氏の上杉定実と養子縁組の計画があった伊達実元に送られた上杉家の定紋である「竹に雀」がある。 家紋ではないが、主に近畿地方において家同士の婚姻が主だった折は、女性が嫁ぐ場合に際して、婚家から女紋を持って行く例も見られる。 召し上げによって松平家が用いるようになった「三つ葉葵(みつばあおい)」 葵紋の召し上げによって代替に下賜された「片喰(かたばみ)」 縁組により伊達家に贈られた「上杉笹(うえすぎささ)」 伊達家に贈られた上杉笹を変化させた「仙台笹(せんだいささ)」 主君から家臣へと賜与された「抱き花杏葉(だきはなぎょうよう)」
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