宗教的儀式
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 05:01 UTC 版)
「イードゥース・マルティアエ」の記事における「宗教的儀式」の解説
各月のイードゥースはローマ神話の最高神ユーピテルの聖なる日であり、生贄の羊を連れたフラーメン・ディアーリス(Flamen Dialis、ユーピテル神官)がウィア・サクラをカンピドリオまで練り歩いた。 この毎月の生贄に加え、3月のイードゥースの日にはアンナ・ペレンナ(英語版)(Anna Perenna、年の巡りの女神)の饗宴も行われた。この祭りは本来は新年祭も兼ねていたものであり、人々は森に出かけて飲めや歌えの無礼講に熱狂した。また、古代末期の史料によると、3月のイードゥースの日にはマムラリア(英語版)(Mamuralia)も行われた。これはヘブライ人のスケープゴートや古代ギリシアのパルマコス(英語版)の儀礼と同種の儀式であり、獣の皮をまとった老人が殴打された上で都市から追い出されるというものであった。恐らくは古い年を追い出し新たな年を迎えることを象徴した儀式だと考えられている。 帝政後期には、この日はキュベレーとアッティスを祭る聖なる週の始まりとしても祝われるようになった。これはアッティスがフリュギアの川の葦の中で生まれ、羊飼いもしくは「マグナ・マーテル(Magna Mater、大いなる母)」と称されるキュベレーによって見つけ出された日ということでカンナ・イントラット(Canna intrat、「葦が入る」の意)と呼ばれた。一週間後の3月22日にはアッティスが松の木の下で死んだことを記念したアルボル・イントラット(Arbor intrat、「木が入る」の意)という厳粛な祭りが行われた。デンドロフォロイ(dendrophoroi、「木を運ぶ者たち」の意)という祭祀集団が毎年木を切り倒し 、そこからアッティスの像を吊るし 、悲嘆の声とともにマグナ・マーテルの神殿に運んだ。この日はクラウディウスの治世下において公式のローマの暦の一部として認められた。3日間の追悼期間の後に、ユリウス暦での春分に当たる3月25日にアッティスの復活を祝うことで最高潮に達するのである。
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