キュベレーとアッティス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:14 UTC 版)
「キュベレー」の記事における「キュベレーとアッティス」の解説
紀元前8世紀から紀元前6世紀には、この女神は単独で現れたが、後に息子であるアッティスと共に現れるようになった。母の嫉妬をかったアッティスは、エクスタシーのうちに自ら性器を切り落とし、死んだ。キュベレーは嘆き彼を復活させた。常緑の松と蔦がアッティスに献じられた。 エクスタシーの極みに達したキュベレー信者の中には、ローマで galli と呼ばれていた者たちがいる。彼等はアッティスに倣い自ら進んで信仰による去勢をした。マグナ・マテルであるキュベレーを信仰するローマ人はそこまでしようとは思わず、「大いなる母」に捧げられる動物の一つである牡牛の睾丸を取って代用品とした。これは多くの碑文に示されている。紀元160年の碑文では、牡牛の精巣をローマからフランス、リヨンのキュベレーの社に運んだとある。
※この「キュベレーとアッティス」の解説は、「キュベレー」の解説の一部です。
「キュベレーとアッティス」を含む「キュベレー」の記事については、「キュベレー」の概要を参照ください。
- キュベレーとアッティスのページへのリンク