坂崎直盛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 09:05 UTC 版)
坂崎 直盛(さかざき なおもり) / 宇喜多 詮家(うきた あきいえ)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将・大名。宇喜多忠家の子。宇喜多直家の甥にあたる。宇喜多秀家に仕えた後に徳川家康に仕えた。関ヶ原の戦いの功により津和野城主となって坂崎と改姓。
- ^ a b c d e f g 宇神 2011, p. 33.
- ^ 大西 2019, p. 163.
- ^ 大西 2019, p. 164.
- ^ 松田 1953.
- ^ 大西 2015, p. 96.
- ^ 大西 2019, p. 166.
- ^ a b 宇神 2011, p. 34.
- ^ 岡茂政 著、柳川郷土研究会 編『柳川史話(全)』青潮社、1984年、348頁。(由布壱岐家聞書・坂崎出羽守御追伐の節諸事立斎樣へ御内意被蒙仰始終立斎樣御謀を以て無滞御退治被遊候由、出羽守家老の内一人及沙汰候勇士有之候を上にも大事に被思召上候処立斎樣御謀にて寺へ被名寄、由布壱岐へ被仰付、壱岐寺の白洲にて出羽守家老に立迄無事右討果被申、御家之御面目壱岐一分之誉より其節)
- ^ 古賀敏夫『立花宗茂』九州出版社〈長編歴史物語戦国武将シリーズ(1)〉、1974年、331頁。(将軍秀忠は宗茂と柳生宗矩とに命じて、謀反のあった坂崎直盛を討たせた。これも、宗茂の智謀により、坂崎の家臣が主君を殺して降参し、無事に落着した。)
- ^ 宇神 2011, p. 31.
- ^ 宇神 2011, p. 32.
- ^ 大西 2019, p. 162.
固有名詞の分類
- 坂崎直盛のページへのリンク