坂崎事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 01:31 UTC 版)
大坂の陣の翌年、元和2年(1616年)には友人でもあった坂崎直盛の反乱未遂事件の交渉と処理に活躍し、坂崎家の武器一式と伏見の屋敷を与えられた。なお直盛の自害のみで事を治めると約束した幕府は、その後、坂崎家を取り潰している。その約束で直盛の説得を行った宗矩は結果的に直盛を陥れたことになるが、宗矩はそれを終生忘れぬためなのか、元々の柳生家の家紋「地楡(われもこう)に雀」に加え、副紋として坂崎家の二蓋笠(にがいがさ)を加えて使い続けている。これが後に「柳生二蓋笠」と呼ばれる紋となった。またこの際、坂崎の嫡子・平四郎を引き取って200石を与えて大和に住まわせ、2人の家臣を引き取り、その内1人には200石を与えている。
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