学制
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:53 UTC 版)
学制施行により、大学と専門学校(医学校や法律学校、外国語学校、農学校など)が高等教育機関として卒業者に学士号の学位を授与できることとなった。学制における専門学校とは、旧制専門学校とは異なるものである。 1872年の学制施行直後は、最高学府は専門学校である医学校(高等教育機関)と中学(中等教育機関)であった。最高学府として大学(高等教育機関)がすぐに設立されなかった理由は、学制は主に小学校(初等教育機関)の普及に力を入れていたため、高等教育の水準が欧米諸国に追いつくには時間を要したためである。 1877年末の時点で、大学は東京大学1校、官公立の専門学校は18校、私立の専門学校は34校であった。 1872年 9月5日 - 学制公布により、以下の医学校と中学が設立東校→第一大学区医学校 南校→第一大学区第一番中学 大阪開成所→第四大学区第一番中学 長崎広運館→第六大学区第一番中学 次いで大阪医学校→第四大学区医学校 長崎医学校→第六大学区医学校 東京の洋学第一校→第一大学区第二番中学 以下の専門学校が廃止第四大学区医学校 1873年 学制改正(第三大学区と第四大学区が統合、以下番号繰り上がり)第四大学区第一番中学→第三大学区第一番中学 第六大学区第一番中学→第五大学区第一番中学 第六大学区医学校→第五大学区医学校 以下の中学が専門学校へ昇格第一大学区第一番中学→開成学校 第三大学区第一番中学→開明学校 第五大学区第一番中学→広運学校 以下の専門学校が改称開成学校→東京開成学校 1874年 以下の専門学校が改称第一大学区医学校→東京医学校 第五大学区医学校→長崎医学校 開明学校→大阪外国語学校→大阪英語学校 広運学校→長崎外国語学校→長崎英語学校 以下の専門学校が廃止長崎医学校(→1876年 長崎病院医学場として復活、現・長崎大学医学部) 1876年 以下の機関が工部寮の附属として設立工部美術学校 1877年 以下の専門学校が合併し、大学へ昇格東京医学校+東京開成学校→(旧)東京大学 以下の専門学校が合併工学寮+工部美術学校→工部大学校(1886年、帝国大学に吸収合併) 12月 - 以下の専門学校が廃止長崎英語学校 1879年 4月 - 以下の専門学校が改称大阪英語学校→大阪専門学校(→1880年 官立大阪中学校→1885年 大学分校→1886年 第三高等中学校→1894年 第三高等学校) 9月29日 - 教育令公布により、学制廃止
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