妙本寺本
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「妙本寺本」(安房妙本寺本)は、現存する完本ものとしては『曽我物語』の中で最古の所伝本である。そして現存する「真名本」の全てが、「妙本寺本」を基にしていることがわかっている。原本は国の重要文化財(日助筆曾我物語真名本全10巻)に指定されている(指定日:1959年(昭和34年)6月27日)。 この祖本はその奥書に「日向国臼杵院右筆四位公日助」と記されており、ここから来歴を知ることができる。これによると、日向国(宮崎県)の日助という日蓮宗の僧侶が書写したものである。日助は日向国の臼杵郡本東寺(延岡市)の住僧だったと推定されている。日助が何をもとに写本を作成したかは不明。 日助は天文15年(1546年)4月25日から8月15日にかけて、写本を作成した。そして、天文22年(1553年)6月21日に、自ら作成した『曽我物語』全10巻の写本を安房国安房郡(千葉県鋸南町)の妙本寺住職の日我(1508年 - 1586年)へ寄進した。これを「妙本寺本」(安房妙本寺本)という。 日助によるこの写本は、このあと宝永6年(1709年)3月に、日向国飫肥藩(宮崎県日南市)の藩主、伊東家の求めに応じて寄進された。日向の伊東氏は、曽我兄弟によって討たれた工藤祐経の子孫である。以後この写本はながらく伊東家の所蔵になっていたが、伊東祐淳(1907年 - 1990年)の代のときに文化庁へ預託になり、国立博物館に所蔵となった。このため、この「妙本寺本」原本を「伊東祐淳蔵妙本寺本」ともいう。 この写本は、『曽我物語』真名本として現存する最古の写本であると同時に、10巻が欠くことなく揃っている。そして、現存する全ての「真名本」系統の伝本はすべて、「妙本寺本」を祖本として作成されたことがわかっている。このため現代の『曽我物語』研究者は、ふつう、この「妙本寺本」を研究の中心におくことになる。 「妙本寺本」は、勉誠出版が写真版を、角川書店が活字版を、平凡社が注釈付き訓読版(東洋文庫)を、それぞれ刊行している。
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