天野 (新潟市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 13:32 UTC 版)
天野 | |
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— 町丁・大字 — | |
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座標: 北緯37度51分21.02秒 東経139度2分12.83秒 / 北緯37.8558389度 東経139.0368972度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | ■ 江南区(大字の一部、丁目) ■ 南区(大字の一部) |
人口 (2018年(平成30年)1月31日現在)[1] | |
- 計 | 3,851人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 950-1134[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
天野(あまの)は、新潟県新潟市江南区及び南区の町字。現行行政地名は天野一丁目から天野三丁目と大字天野で、大字天野の一部は南区に属する。住居表示は一丁目から三丁目が実施済み区域、大字が未実施区域[4]。郵便番号は950-1134[2]。
概要
1889年(明治22年)から現在までの大字[5]。および1991年(平成3年)から現在までの町名[6]。信濃川下流右岸に位置する。もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった天野新田の区域の一部で、1968年(昭和43年)にできた曽野木団地の影響で住宅地として発展した。
隣接する町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
1699年(元禄12年)の資料では東笠巻村の枝郷として1650年(慶安3年)の開発とあるが、慶長年間に近藤勘十朗が片口村(現:三条市片口)から移住して開発とも伝わる。
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により曽野木村の大字となる。当初は天野新田と称した。
- 1957年(昭和32年)5月3日 : 合併により新潟市の大字となり、天野に改称。
- 1991年(平成3年)11月5日 : 住居表示を実施[6]。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、江南区及び南区の大字となる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
区 | 大字・丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|---|
南区 | 天野 | 0世帯 | 0人 |
江南区 | 天野 | 169世帯 | 490人 |
天野一丁目 | 445世帯 | 1,211人 | |
天野二丁目 | 267世帯 | 699人 | |
天野三丁目 | 547世帯 | 1,451人 | |
計 | 1,428世帯 | 3,851人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]。
大字・丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
天野 | 全域 | 新潟市立曽野木小学校 | 新潟市立曽野木中学校 |
天野一丁目 | 全域 | ||
天野二丁目 | 全域 | ||
天野三丁目 | 全域 |
主な企業・施設
- 新潟市立曽野木小学校
- 曽野木郵便局
文化
- 天野甚句
- 盆踊りに用いられる甚句。河川の整備をきっかけに自然の恵みに感謝し、働く喜びを表現した唄と踊りが作られたとされる[8]。
交通
脚注
注釈
出典
- ^ a b “住民基本台帳人口 (全市・区役所・町名別) - 町名別住民基本台帳人口”. 新潟市 (2018年2月13日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2018年3月5日閲覧。
- ^ “町名一覧表”. 新潟市 (2017年7月20日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ 角川地名15、p.96
- ^ a b 市報にいがた1288号、p.3
- ^ “通学区域一覧(町名別五十音索引)”. 新潟市 (2017年4月1日). 2018年3月5日閲覧。
- ^ 新潟1998、p.70
参考文献
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』 (株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
- 『新潟歴史双書 8 新潟の地名と歴史』 新潟市、2004年3月31日。
- “市報にいがた 1288号3面”. 新潟市 (1991年11月3日). 2014年8月10日閲覧。
- 『美しい新潟 - 総集編』 新潟市総務局総務部広報課、1998年3月。
関連項目
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「天野 (新潟市)」の例文・使い方・用例・文例
- 天野家は大正初年にこの町に移り住み, 爾来酒造りを営んできた.
- 日本人登山家の谷口けいさん(36),平(ひら)出(いで)和(かず)也(や)さん(29),佐藤裕(ゆう)介(すけ)さん(29),一(いち)村(むら)文(ふみ)隆(たか)さん(31),天野和(かず)明(あき)さん(32)は日本人で初めてピオレドール賞を受賞した。
- 佐藤さん,一村さん,天野さんは同じくインドにあるカランカ峰(6931メートル)の北壁を制覇した。
- 赤﨑氏(85)は名城大学の教授,天野氏(54)は名古屋大学の教授,中村氏(60)は米国のカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授である。
- 赤﨑氏と天野氏は名古屋大学で青色LEDの開発にともに取り組んだ。
- 名古屋大学教授の天野さんとカリフォルニア大学サンタバーバラ校教授の中村さんは,青色発光ダイオード(LED)の開発に関する研究により,ノーベル物理学賞を受賞した。
- 式典後の記者会見で,天野さんは「自分を支えてきてくれたすべての人に感謝します。みなさんに恩返しできるよう精進していきます。」と話した。
- 赤﨑さんは名城大学の教授,天野さんは名古屋大学の教授,中村さんはカリフォルニア大学サンタバーバラ校の教授だ。
- 天野さんと中村さんは後に続いた。
- 晩餐会の間,天野さんはシルビア王妃の隣に座っていた。
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