東笠巻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/19 15:32 UTC 版)
東笠巻 | |
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— 大字 — | |
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座標: 北緯37度48分55.72秒 東経139度2分51.47秒 / 北緯37.8154778度 東経139.0476306度 | |
国 | ![]() |
都道府県 | ![]() |
市町村 | ![]() |
区 | ■ 南区 |
人口 (2018年(平成30年)1月31日現在)[1] | |
- 計 | 408人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 950-1405[2] |
市外局番 | 025 (新潟MA)[3] |
ナンバープレート | 新潟 |
東笠巻(ひがしかさまき)は、新潟県新潟市南区の町字。郵便番号は950-1405[2]。
概要
1889年(明治22年)から現在の大字。信濃川支流の鷲ノ木大通川流域に位置する[4]。
もとは江戸時代から1889年(明治22年)まであった東笠巻村の区域の一部[4]。
隣接する町字
北から東回り順に、以下の町字と隣接する。
歴史
開発時期は不明。1683年(天和3年)の記録に村名が残る[4]。1641年(寛永18年)、東笠巻新田。1650年(慶安3年)、天野新田。1652年(承応元年)、粟巻新田が開発される[4]。1885年(明治18年)に粟巻新田を合併[4]。
- 粟巻新田(あわまきしんでん)
- 江戸時代から1885年(明治18年)までの新田名。信濃川支流の鷲ノ木大通川流域に位置する。粟蒔新田、栗蒔村とも称した[5]。
- 1652年(承応元年)に東笠巻村の区域内に開発されるが、のちに分村。分村年代は不明。1885年(明治18年)に東笠巻村の一部となる[5]。
年表
- 1889年(明治22年)4月1日 : 合併により大郷村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)3月31日 : 合併により白根町の大字となる。
- 1959年(昭和34年)6月1日 : 白根町の市制施行により、白根市の大字となる。
- 2005年(平成17年)3月21日 : 合併により新潟市の大字となる。
- 2007年(平成19年)4月1日 : 新潟市の政令指定都市移行により、南区の大字となる。
世帯数と人口
2018年(平成30年)1月31日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
大字 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
東笠巻 | 108世帯 | 408人 |
小・中学校の学区
市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
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全域 | 新潟市立大鷲小学校 | 新潟市立白根北中学校 |
主な企業・施設
- 新潟市立大鷲小学校
交通
道路
脚注
注釈
出典
参考文献
- 角川日本地名大辞典 編纂委員会 『角川日本地名大辞典 15 新潟県』 (株)角川書店、1989年10月8日。ISBN 4-04-001150-3。
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東笠巻(ひがしかさまき)
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「大郷村 (新潟県)」の記事における「東笠巻(ひがしかさまき)」の解説
1889年(明治22年)まであった東笠巻村の区域。現在の新潟市南区東笠巻。
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