おおとりづか‐こふん〔おほとりづか‐〕【大鳥塚古墳】
古市古墳群
古室山古墳
赤面山古墳
大鳥塚古墳
助太山古墳
鍋塚古墳
城山古墳
峯ヶ塚古墳
墓山古墳
野中古墳
応神天皇陵古墳外濠外堤
鉢塚古墳
はざみ山古墳
青山古墳
蕃所山古墳
名称: | 古市古墳群 古室山古墳 赤面山古墳 大鳥塚古墳 助太山古墳 鍋塚古墳 城山古墳 峯ヶ塚古墳 墓山古墳 野中古墳 応神天皇陵古墳外濠外堤 鉢塚古墳 はざみ山古墳 青山古墳 蕃所山古墳 |
ふりがな: | ふるいちこふんぐん こむろやまこふん せきめんやまこふん おおとりづかこふん すけたやまこふん なべすかこふん しろやまこふん みねがづかこふん はかやまこふん のなかこふん おうじんてんのうりょうこふんがいごうがいてい はちづかこふん はざみやまこふん あおやまこふん ばんしょやまこふん |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 大阪府 |
市区町村: | 藤井寺市古室・青山・藤ヶ丘・津堂・野中・藤井寺、羽曳野市誉田・軽里・白鳥 |
管理団体: | |
指定年月日: | 2001.01.29(平成13.01.29) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | 古室山古墳は、応神天皇陵と同皇后仲津姫命陵との間に介在する前方後円墳で、前方部を東北に面し主軸の長さ約160メートルを有する宏壮な封土をなし周囲に堀の跡が存する。墳丘は殆んど開墾の厄にあっているが、よく旧規をとどめている。附近に赤面山古墳、大鳥塚古墳、助太山古墳、鍋塚古墳がある。赤面山古墳は古室山古墳後円部の背後に存する一辺の長さ約20メートルの小形の方形墳であり、大鳥塚古墳はその北に接して存する前方後円墳で、前方部を南に面し、主軸の長さ約120メートルを有し堀の跡をとどめている。助太山古墳は古室山古墳の東方に存する方形墳で、一辺の長さ約36メートルを有し、一部に堀の跡を存している。鍋塚古墳は古室山古墳の東北方に存する仲津姫命陵の後円部背後に見られる方形墳で、一辺の長さ約50メートルを測る。 これらはいずれも応神天皇陵を中心とする道明寺古墳群中における顯著な古墳であり、わが国における古墳文化を考察する上に重要な地位を占めるものである。 |
大鳥塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/04 21:55 UTC 版)
大鳥塚古墳 | |
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![]() 墳丘(右に前方部、左奥に後円部) |
|
所属 | 古市古墳群 |
所在地 | 大阪府藤井寺市古室2丁目 |
位置 | 北緯34度33分59.68秒 東経135度36分31.95秒 / 北緯34.5665778度 東経135.6088750度座標: 北緯34度33分59.68秒 東経135度36分31.95秒 / 北緯34.5665778度 東経135.6088750度 |
形状 | 前方後円墳 |
規模 | 墳丘長110m 高さ12m(後円部) |
埋葬施設 | (伝)粘土槨[1] |
出土品 | (伝)銅鏡2面・鉄製武器[1] |
陪塚 | 1基 |
築造時期 | 5世紀前半 |
史跡 | 国の史跡「大鳥塚古墳」 (「古市古墳群」に包含) |
地図 |
大鳥塚古墳(おおとりづかこふん)は、大阪府藤井寺市古室にある古墳。形状は前方後円墳。古市古墳群(世界文化遺産)を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている(史跡「古市古墳群」のうち)。
概要
大阪府東部、藤井寺市・羽曳野市・松原市にまたがる大古墳群である古市古墳群のうち、中位段丘(国府台地)上に築造された大型前方後円墳である[2]。1984年(昭和59年)に藤井寺市教育委員会による調査が実施されている[2]。
墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向ける[2]。墳丘は後円部で3段築成、前方部で2段築成[1]。墳丘外表では葺石・円筒埴輪列や[2]、形象埴輪(家形・蓋形・盾形・靫形・冑形埴輪など)が認められる[1]。墳丘くびれ部両側には造出を有する[1]。また墳丘周囲には馬蹄形の周濠が巡らされる[2](空濠、現在は埋設保存[1])。埋葬施設は明らかでなく、後円部墳頂の陥没坑の存在から盗掘に遭っているとみられるが、石材は認められず、粘土槨や木棺直葬と伝わる[3]。副葬品も詳らかでないが、伝出土鏡1面が宮内庁書陵部に所蔵されるほか、伝出土鏡1面が知られ(現在は所在不明)、伝出土刀剣類が旧所有者から東京の博物館に寄贈されたという[3]。なお北側には赤面山古墳があり、本古墳の陪塚と推測される[4]。
築造時期は、古墳時代中期の5世紀前半頃造と推定される(赤面山古墳も同時期)[4]。古市古墳群では大王墓の仲津山古墳(藤井寺市沢田)と同時期とされ、巨大前方後円墳(大王墓)に次ぐ大型前方後円墳として、当時のヤマト王権の政治階層を示す古墳になる[5]。
古墳域は1956年(昭和31年)に国の史跡に指定されている[6]。
遺跡歴
- 1900年(明治33年)、濱田耕作による踏査報告[3]。
- 1934年(昭和9年)、梅原末治による報告[3]。
- 1956年(昭和31年)9月22日、他の古墳4基と合わせて「古室山古墳群」として国の史跡に指定[6]。
- 1981年(昭和56年)、墳丘測量調査(藤井寺市教育委員会)[3]。
- 1984年(昭和59年)、水路改修工事予定に伴う調査(藤井寺市教育委員会)[3]。
- 1987年(昭和62年)、後円部外堤想定地における調査(藤井寺市教育委員会)[3]。
- 1990年(平成2年)、水道排水管敷設工事に伴う調査(藤井寺市教育委員会)[3]。
- 2000年(平成12年)、前方部南西隅における調査(藤井寺市教育委員会)[3]。
- 2001年(平成13年)1月29日、古室山古墳群と他の古墳を合わせて、国の史跡の指定名称を「古市古墳群」に変更[6]。
- 2015年(平成27年)、航空レーザー測量図作成(百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議)[3]。
墳丘

墳丘の規模は次の通り[2]。
- 墳丘長:110メートル
- 後円部 - 3段築成。
- 直径:72メートル
- 高さ:12メートル
- 前方部 - 2段築成。
- 幅:50メートル
- 高さ:6メートル
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後円部墳頂
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
陪塚

- 赤面山古墳(せきめんやまこふん)
- 所在地:藤井寺市古室2丁目( 北緯34度34分2.10秒 東経135度36分32.75秒 / 北緯34.5672500度 東経135.6090972度)
- 形状:方墳
- 規模:一辺15メートル
- 史跡指定:国の史跡「赤面山古墳」(史跡「古市古墳群」のうち)
- 埋葬施設等の詳細は明らかでない[4]。
文化財
国の史跡
- 大鳥塚古墳(史跡「古市古墳群」のうち)
脚注
参考文献
- 史跡説明板(藤井寺市、2016年設置)
- 天野末喜「大鳥塚古墳」『日本古墳大辞典』東京堂出版、1989年。ISBN 4490102607。
- 『古室山・大鳥塚古墳 -附章 狼塚古墳-』藤井寺市教育委員会〈藤井寺市文化財報告第41集 古市古墳群の調査研究報告VI〉、2017年。
外部リンク
- 古市古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁)
- 大鳥塚古墳と赤面山古墳 - 藤井寺市ホームページ
- 大鳥塚古墳のページへのリンク