大腸がんの手術から一軍へ復帰するまでの経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 13:45 UTC 版)
「原口文仁」の記事における「大腸がんの手術から一軍へ復帰するまでの経緯」の解説
原口は、上記のツイートを発信した直後(2019年1月末)に大腸がんの手術を受けると、同年3月7日から二軍でトレーニングを再開した。5月6日から、ウエスタン・リーグの公式戦で実戦に復帰。代打として最初に出場した対中日戦では、記録は右飛ながら、フルスイングで鳴尾浜球場のフェンス際に大きな飛球を打った。さらに、チームがこの試合でサヨナラ勝利を収めたことから、試合後のマイクパフォーマンスでは観衆に向けて「野球はやっぱり楽しい」とのコメントを残した。翌7日の同カードでは、「5番・指名打者」としてのスタメン起用で復帰後初安打を記録。5月10日の対オリックス戦で復帰後初マスク、15日の対ソフトバンク戦で復帰後初のスタメンマスク、17日の対広島戦で赤松との同時出場、19日の同カードで「5番・一塁手」として復帰後初のフル出場などを経験した後に、大腸がんの公表から131日目に当たる6月4日付で一軍へ復帰した。 復帰当日の対ロッテ戦では、代打で適時打を打ったことに加えて、チームが大勝したことからヒーローインタビューにも登場。「『一軍は素晴らしい舞台だな』と改めて思った」「これからが(自分にとって)野球人生のリスタート」などと語った。その一方で、復帰に合わせて公表された手記では、「どれだけ長い時間眠っても眠気やアクビが止まらない」といった身体の違和感に2017年の6月頃からずっと悩まされていたことを初めて告白。自身の希望で2018年末に受診した人間ドックで身体に異常が見られたことから、2019年の1月に大腸の内視鏡検査を受けたところ、がん細胞がすぐに見付かったことも明かしている。 さらに、2019年シーズン終了後の11月24日に、自身の希望で記者会見を実施。大腸がんが判明した時点でステージ3Bにまで進行していたものの、医師の判断によって手術が終了するまで告知を見送られていたことや、抗がん作用のある錠剤で手術後半年以上にわたって服薬治療を続けていたことや、手術後も半年に1回の定期検診を通じて5年間の経過観察を要する状況であることなどを初めて公表した。 ちなみに、がんの宣告を受けたのは1月8日で、オールスターゲーム・プラスワン投票結果の発表当日(7月9日)まで治療が続いたという。また、母校の埼玉県寄居町立城南中学校では、大腸がんの判明から実戦復帰を果たすまでの経緯や野球人生をまとめた冊子を独自に作成。12月22日に原口の講演会を校内で開催する前に、全学年全クラスで道徳科目の教材に用いていた。 2021年11月29日には、小学生時代から同年のレギュラーシーズン途中までの野球人生や、大腸がんの症状が現れてからの経過などを綴った自身初の著書をベースボール・マガジン社から発売。大腸がんの手術を受けてからの目標を「一軍の公式戦で甲子園球場のバッターボックスへ再び立つこと」に置いていたことを踏まえて、『ここに立つために』というタイトルを付けた。
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