大山崎山荘
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「アサヒビール大山崎山荘美術館」の記事における「大山崎山荘」の解説
大山崎山荘は実業家加賀正太郎によって建てられた。1888年、大阪船場の株相場師の息子として生まれた彼は、現在の一橋大学を卒業するとイギリスを中心に欧州へ遊学し、アルプスの山々に登頂した日本人のさきがけとなった。日本帰国後は証券会社(加賀証券)を設立したほか、1934年には壽屋で山崎蒸溜所を立ち上げ、契約期間満了後に自らの理想とする独自でウイスキー製造に乗り出した竹鶴政孝を支援して大日本果汁(後のニッカウヰスキー)創立に参加するなど、イギリスから持ち帰ったモダンな生活様式を日本に定着させようとした。 彼は天王山山麓の淀川の流れを見下ろすこの場所に、テムズ川を見下ろすウィンザー城の風景を重ねあわせ、ここに山荘を作りたいと考えた。建物、庭園、道路などを自ら設計し、1912年に建設に着手、1915年には最初の木造の望楼「白雲楼」(栖霞楼)が完成。現在の本館である「霽景楼(せいけいろう)」は1910年代に建設を開始し、1927年に増築、1932年に完成した。これは構造は鉄筋コンクリート造であったが、外観は木の柱を露出させその間にレンガ壁を組んだハーフティンバー工法で、淀川を見渡すテラスが備えられていた。内部はがっしりとしたイギリス風の調度がそなえられていた。加賀は併設された温室でイギリス時代以来夢中だった洋蘭の研究や品種改良を進め、『蘭花譜』という図録を出版し、1954年に死去した。
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