大山寺開山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 21:34 UTC 版)
「大山寺 (伊勢原市)」の記事における「大山寺開山」の解説
古代に不動明王像を本尊とする大山寺が建立され、大山山頂の磐座への「石尊権現」信仰(十一面観音菩薩)と大山全体を不動明王の霊場(修験道)とする信仰とが一体化していったとされる。『続群書類従』所載の『大山寺縁起』(内閣文庫本ほかでは一般に『大山縁起』)によれば、大山寺は天平勝宝7年(755年)、東大寺初代別当(住職の最高位)の良弁が自刻の木造不動明王像を本尊に聖武天皇の勅願寺として開創したという。天平宝字5年(762年)には行基の命により、光増が不動明王像を製作して本堂に奉納したとされる。寺伝では空海(弘法大師)を3世住持とし。元慶2年(878年)に地震に伴う火災で焼失したが、同8年(884年)安然が再興したなどの伝承から、顕密系山岳寺院として栄えていったと考えられる。 平安時代の末に、大山は糟屋氏が支配する糟屋荘に編入されたが、久寿元年(1154年)12月に糟屋荘は安楽寿院に寄進された。その後、大山は藤原得子(ふじわらのなりこ、鳥羽法皇の皇后、美福門院)の領地となり、さらに、得子の子である暲子内親王(あきこないしんのう、八条院)の領地とされた。
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