多様化したロックの影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 01:19 UTC 版)
「ポピュラー音楽」の記事における「多様化したロックの影響」の解説
ロックの影響は世界に及んでおり、例えば日本では65年のベンチャーズ、66年のビートルズ来日以後にグループサウンズやカレッジ・フォークがブームとなりアマチュア音楽の裾野を広げ、72年以降のフォーク系シンガーソングライター(吉田拓郎・井上陽水など)および75年ごろからの女性シンガーソングライター(荒井由実・矢野顕子・中島みゆきなど)の活躍につながった。 フランスではロックの影響のもと、ジョニー・アリディやシルヴィ・ヴァルタンなどの音楽がイェイェと呼ばれて人気を集めた。セルジュ・ゲンズブールのプロデュースしたフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」はユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝曲である。活躍した女性歌手たちはフレンチ・ロリータと呼ばれた。 ヨーロッパでは、ロックやリズム・アンド・ブルースが広く聴かれるようになったのみならず、大量販売をめざす大手レコード会社は、ビートルズ・ブーム以降、ロック的な音楽を国際的な主力商品にすえた。このようなロックの影響を受けた新しい若者向け音楽のスタイルを説明するための言葉として、イギリスでポップ(ポップ・ミュージック)と言う言葉が使われ始めた。ヨーロッパ各地でも、それにならった英語の音楽がつくられはじめた。このためヨーロッパでヒットする音楽の5~6割が英米の音楽で、ユーロビジョン・ソング・コンテストの優勝者も過半数が英語で歌っている(1974年優勝のスウェーデンのABBAなど)。このように英米のポピュラー音楽の影響下にあるヨーロッパ産のポピュラー音楽をユーロ・ポップと呼ぶ場合がある。 東側諸国の多くはロックを資本主義の退廃を象徴する音楽として弾圧したため、ロックの影響は地下化した。 1960年はアフリカの年と呼ばれ多くの国が独立したが、アフリカ独立とロックの世界的な流行は、アフリカにエレキ・ギターの急速な普及をもたらし、ナイジェリアではフェラ・クティが現れる。クティはジャズとファンクを参照しつつ強烈な政治的発言を盛り込んだ音楽を作り上げ、自らアフロ・ビートと呼んだ。目の前の不正を強烈に告発する歌詞は当局の弾圧を生んだが、クティはさらに強烈な表現で今度はその弾圧を歌にした。後続は現れなかったが、アフリカ起源のアフロ・ビートと言うジャンルは全世界に広がった。 メイン・ストリームそのもののようなミュージカルでも、ロックを取り入れた作品がいくつもつくられたが、この時期のミュージカルは筋らしい筋がなく、文学性を喪失するなど迷走が見られる。
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