多様な文筆活動・1930年代~
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1929年、「La Table-aux-Crevés (飢えた人々の食卓)」でルノードー賞、1930年の「La Rue sans nom (名前のない通り)」でポピュリスト賞を相次いで受賞すると、1933年発表の「La Jument Verte (緑の牝馬)」によって彼は作家としての名声を不動のものとする。(時代的に世界恐慌の頃であることを付加したい) 同年製作の自作小説の映画化「La Rue sans nom (名前のない通り)」以降、戦前は1942年まで、戦後は1946年から1965年まで、ドストエフスキー原作の「罪と罰」などいくつもの映画のシナリオ、ダイアローグ、等の仕事に携わる。 また、1934~1946年にかけて連作の童話「Les Contes du Chat perché (おにごっこ物語)」を発表する。(ちなみに英題は「The Wonderful Farm」) 日本において彼の作品は、1939年5月に早くも白水社より短編集「Derrière chez Martin」が刊行されている。(邦題「人生斜断記」鈴木松子・訳)また、江戸川乱歩が彼の作品性を高く評価したことで、ミステリーの読者の間で一定の知名度を有している。 当初古典的で重厚な小説作品を下敷きとしていたとされる彼の作風は、その後不条理な設定の下、人間性や社会の倫理面を風刺的に描写する、おかし味のある幻想的な性質を帯びていった。それらは1943年刊行の「Le Passe-muraille (壁抜け男)」のような短編集などによく表れている。
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