夕霧巻末
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 23:48 UTC 版)
光源氏の長男である夕霧の子女の数と順序について、同人は頭中将の娘で幼なじみでもある雲居の雁と源氏の側近惟光の娘藤典侍の2人を妻としてそれぞれ数多くの子をもうけている。夕霧巻末において、その数は「全部で十二人」であるとされている(但し、宿木巻になってこの他に母親が明記されていないこれらより年下の「七郎君」が存在することが明かされる。)ものの、それぞれが誰を母親として生まれているのかについて、写本によって異同が多く、「大君」と「大きみ」といった漢字表記の違いや「太郎」と「太郎君」といった意味内容に違いを及ぼさない違いを別にしても、 青表紙本(大島本、池田本、横山本)雲井雁の子 太郎、三郎、五郎、六郎、中君、四君、五君 藤典侍の子 次郎、四郎、大君、三君、六君 青表紙本(三条西家本、肖柏本。青表紙本系統の本文を持つとされる首書源氏物語や湖月抄といった版本もこれに含まれる。)、河内本(尾州家本、高松宮家本、七毫源氏、平瀬本、大島本、鳳来寺本など。河内本源氏物語校異集成によれば河内本の中ではこの部分には異文は存在しない。)、別本(陽明文庫本、御物本、保坂本など)雲井雁の子 太郎、三郎、四郎、六郎、大君、中君、四君、五君 藤典侍の子 次郎、五郎、三君、六君 別本(麦生本、阿里莫本)この系統の本文のみ夕霧の子供を「全部で十一人である」としている。雲井雁の子 太郎、三郎、四郎、六郎、大君、中君、四君、五君 藤典侍の子 五郎、三君、六君 このほか別本(国冬本)では。「次郎」が無い代わりに四郎が雲井雁の子と藤典侍の子の二ヶ所に現れており、一見2と3の中間のような形になっているが、おそらく藤典侍の子の「次郎」を「四郎」と書き誤ったのだろうと考えられている。 といくつかの系統に分かれており、いずれの本文をとっても匂宮・椎本・竹河・総角・宿木・手習などの他の巻の現れる夕霧の子供たちの記述のどこかと不整合を起こしてしまうためにいずれの形が正しい(原型と考えられる)のか古くからさまざまに議論されてきており、雲井雁が7人の子を持つ1の形を原型であろうとする阿部秋生などの説と、雲井雁が8人の子を持つ2の形を原型であろうとする藤村潔などの説が存在しており、現在でも決着はついていない。 ところがこの大沢本ではこれまでのほとんどの写本で共通であった「全部で十二人」との文言が存在せず、「全部で○○人」との記述が一切存在しない。その上で子供それぞれが誰を母親として生まれているのかについて 雲井雁の子 太郎、三郎、四郎、六郎、中君、四君 藤典侍の子 次郎、五郎、大君、三君、六君 と、これまで知られていたいずれの本文とも異なる記述になっている。 また同巻巻末はこれまで知られている本文ではいずれも「この御仲らひのこと、言ひやるかたなく、とぞ。」で終わっており、雲井雁が子供を連れて実家へ帰ってしまったために夕霧がどうしてよいのか困惑した姿で終えるが、大沢本ではこの場所に「なにはの浦に」の一句が存在するが、これは、 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}「おしてるやなにはのうらに焼くしほの からくもわれはおいにけるかな」 —『古今六帖』第三、「水」、1792 の引歌によるとみられる。このためにこの後の夕霧の思いを様々に想像できるような広がりを見せる作りになっている。
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