夕顔と良文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/25 15:03 UTC 版)
晩年、良文は夕顔の花を愛し、死に際して子の忠頼に「自分に会いたくなったら、畑に植えた夕顔の実を開けよ」と遺言した。忠頼が畑の夕顔を割ったところ、中から観音像が出てきた。のちに、千葉のまちを開いた千葉常重の夢枕に「この夕顔観音を祀れ」とのお告げがあったため、大治年間中、現在の千葉県香取市小見川付近に白華山樹林寺が開かれた。近くにある良文の墓は「夕顔観音塚」と呼ばれる。 徳川家康の関東移封に伴い、高遠から下総多古に封ぜられた保科正光は、この夕顔観音を深く信仰し、高遠城に戻る際、複製を造らせて持ち帰った。このため、高遠城の近くにも同じ樹林寺という名の寺がある。このほか、東京都葛飾区の安福寺にも夕顔観音がある。
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