壁建設と緊張緩和政策とは? わかりやすく解説

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壁建設と緊張緩和政策(1961–1971)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:04 UTC 版)

ドイツ民主共和国」の記事における「壁建設と緊張緩和政策(1961–1971)」の解説

多数国民海外流出、とくに比較高い教育受けた若者たち逃亡は、東ドイツ存在そのもの脅かした。これに対応するため、1961年8月12日13日夜に人民軍人民警察労働者階級戦闘団は、ソ連指導部後ろ盾もあって、西ベルリン周囲有刺鉄線武力封鎖し始めた東西冷戦象徴となったベルリンの壁建設始まりである。壁、地雷原自動発射装置ドイツ語版)が大規模に設置され国境警備兵には、逃亡者対す射殺命令下されたベルリンの壁は「反ファシズム防壁」というプロパガンダ呼ばれた。この防御システム切り抜けようとした数百難民東西ドイツ国境殺された。東ドイツ行われた人権侵害は、西ドイツザルツギッターにある国家司法局中央記録センタードイツ語版)で記録された。 壁の建設始まってから2ヶ月SED指導部は、国外逃亡失敗した反体制者弾圧していたが、このことに対して1961年10月モスクワから警告受けたこの頃ソ連は、書記長ニキータ・フルシチョフ非スターリン化第二段階始めていた最中であった東ベルリンでは、個人崇拝対す拒絶反応起こりスターリンの名が入った通り広場施設改名された。反抗的な一部住民対す弾圧行われなくなり政治的な宣伝活動と、生活水準上げ経済政策始まった国外逃亡しようとしていた人びとは、この新し状況のなかでやりくりし仕事打ち込んで生活水準出世可能性可能な限り高めるよう模索するようになったこのような態度は、経済成長というポジティブ結果を生み、それによって物質的豊かさ改善され反体制的意見無くなり指導部国民との関係は徐々に冷静なものになった1968年プラハの春が起こると、再び弾圧空気生じた東ドイツ国民は自由を重視した改良社会主義ドイツ語版)を期待したが、ソ連影響にあったワルシャワ条約機構軍が、チェコスロバキア共産党第一書記アレクサンデル・ドゥプチェク改革モデル軍事力鎮圧すると、改革機運はすぐに打ち砕かれることになった。それに対して東ドイツ4つの町で主に若者たちによる小規模な抗議デモが行われたが、公安当局によって摘みとられた。シュタージは、1968年11月までに、この件に関する2000上の敵対行為」を確認している。なお同年4月には憲法改正され、「ドイツ民主共和国ドイツ民族社会主義国家である (Die Deutsche Demokratische Republik ist ein sozialistischer Staat deutscher Nation.)」「労働者階級マルクス・レーニン主義政党指導の下に置かれる」と規定され、公式に社会主義国であると規定されている。 モスクワからの東ドイツ指導部出される要望には依然として決定的な影響力があり、そのこと1970年始まったウルブリヒトホーネッカー権力闘争にも見られるホーネッカーは、自分東西ドイツ緊張緩和政策に関するソ連要望理解している政治家であるとアピールしウルブリヒト経済政策批判することでSED政治局支持とりつけたウルブリヒト成長産業研究工業助成関心持っていたのに対しホーネッカー個人消費向け産業計画遅れていたこと、その生産量減少していたことを問題にしていた。ブレジネフ協力で、最終的に1971年4月ウルブリヒト辞任させることになった

※この「壁建設と緊張緩和政策(1961–1971)」の解説は、「ドイツ民主共和国」の解説の一部です。
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