墨田川会
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東京都墨田区・隅田川近辺を縄張りとする暴力団。初代の黒川組が拡大して作られた連合組織である関東一円会に所属する二次団体。なお「墨田川」は実際の隅田川の旧称でもある。 物語は先代「黒川組長」が死亡し、二代目会長を実子の黒川忍が継いだ直後の混乱から始まる。黒川の解任後に砂川明治が三代目会長に就任。その後、復帰した黒川が四代目会長に就任(副会長は神林仁)、砂川は新設の名誉職・会頭に就任。黒川の失脚により会長職は空席のまま、仁が会長代行。砂川の死亡に伴い、砂組組長を襲名した仁が五代目会長となる。 シリーズ初期は、墨田川組を筆頭に砂組・別当組・古沢組・流水会という構成。本家・墨田川組が消滅と再編を繰り返して弱体化、砂組が事実上のトップとなる。神林会長の時代に、全体の再編成が行われて参加団体を完全に系列化、対外的には「墨田川会」として一本化される。内部的には系列と縄張りは残っているものの、「〜組」という呼称は用いられていない模様。 墨田川組 初代黒川組長の作った組であり、墨田川会の本家。二代目を実子の黒川忍が継ぐ。若頭は相同一正。 黒川忍の会長解任に伴い一時消滅し、組織は相同を組長とする「相同組」に引き継がれる。その後、相同が失脚したことにより「相同組」消滅。同時期に、縄張りを持たない「黒川組」を黒川忍が組織。「相同組」の消滅後は、その縄張りを受け継ぎ、後に「墨田川組」に名称を変更した。六代目の会長を狙った黒川の死亡により解散、本家としての墨田川組は消滅する。残党は「黒川組」時代からの若頭・小滝がまとめる。 砂組 初代黒川組長の兄弟分の砂川明治が作った組、分家筋にあたる。若頭は井尻。舎弟頭は磯里。幹事長は家垣。 二代目組長は神林仁。二代目襲名と五代目会長職就任、黒川本家の消滅により、事実上「墨田川会本家」となる。理事(若頭に相当)は八崎義郎。小笠原竜二が若頭補佐に相当する。 旧来の砂組系構成員と、神林直系の構成員との2系統が存在する。仁と義郎が表裏一体の関係であるため、神林直系の構成員はどちらかの派閥という訳ではなく、役割分担によって相互に行き来している模様。 磯里会 砂組舎弟頭の磯里が作った組で砂組の二次団体(関東一円会系四次団体)。 別当組 初代黒川組長の兄弟分の別当が作った組、分家筋にあたる。若頭は鈴村修。 本家・墨田川組との対立により別当が引退し、鈴村が二代目を襲名(若頭は大松英樹)。鈴村の失態により、別当が組長に復帰。その後、別当が再度引退し、旧別当組系は義郎に譲られ、大松が残党を取りまとめる。後に大松が降格して平組員となり、実質的に消滅。 古沢組 成立時期は砂組・別当組より新しく、本家筋の子組にあたる。組長は古沢要。若頭は野々山邦博。 再編成時に解体され、古沢は引退、残党は野々山が引き継ぐ。 流水会 初代黒川組の成立以前から当地にあった老舗の団体。墨田川会発足に伴い傘下に入った。組長は水田甚一郎。若頭は原剛。 砂組と対立して水田は死亡、原が失脚して、次席の名手が組長に就任。再編成時に解体され、派閥として名手が引き続き取りまとめる。 『JINGIS 仁義S』の主人公が所属する「七ツ山組」は流水会の水田が死亡する前に流水会から分家したとの設定になっているが本作では登場していない。
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