墨田川高校堤校舎
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「東京都立墨田川高等学校」の記事における「墨田川高校堤校舎」の解説
第二次ベビーブーマーによる高校受験人口の増加を受けて、1985年(昭和60年)11月、都教委は墨田川高校に分校を創設することを決定。墨田川高校に開設事務所を設ける。学校の位置づけとして、墨田川高校の臨時増学級として運営するか、あるいはもう1つの墨田川高校、または1、2年生は分校、3年生は「本校」で学ぶなど色々の形態が考えられた。しかし、校長は諸般の事情から、第2の構想を採用し、「分校は61グループの一校として「本校」とは別に生徒募集を行う。その後も、基本的には、分校は分校として独自に運営しながら「本校」の良き校風はとり入れていく。」という方針に決まった。 その後、開設事務所を深川商業高校に移し、1986年(昭和61年)4月に深川商業高校を1年間の仮校舎として開校。翌年に墨田区堤通の新校舎へ移転する。7年間限定の設置予定だったため、「7年高校」などと呼ばれていたが、結果的には2003年(平成15年3月)まで存続した。校歌は本校と同じ、校長も兼務、校章は本校の徽章バッジとして使用されていた略式のデザイン(校章の桜のシルエットに数字の7に高を重ねたもの)を引用し、背面の桜をコバルトブルーとし、「7」を隅田川をモチーフとしたライトブルーに、「高」の字は清潔感を表す白へ変えたものが用いられた。教育目標は、自律(自他を敬愛し、自律の精神を養う)、創造(知性を高め、想像力を養う)、実践(心身を鍛え、実践力を養う)。閉校後、残された校舎は、2003年(平成15年)4月から忍岡高校の大規模改修工事に伴う一時移転先として利用され、3年後にその役目も終えて解体工事が行われた。
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