墨象の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 01:06 UTC 版)
墨象の起源は定かではない。大正時代、比田井天来が、字形にとらわれず、書的な線による芸術を「象」と名づけたのが発端と考えられている。その後、書学院において上田桑鳩が比田井天来と「線の問題」について議論している。こうした動きが、第二次世界大戦後の1945年に書かれた比田井南谷の「心線作品第一・電のヴァリエーション」を端緒として広がりを見せ、新たな書道の分野と認識されるようになった。当時は新派・新傾向などと呼ばれたが、1957年には「墨象」という名称が起こり、1958年の毎日書道展では前衛の分野が分離され毎日前衛書道展が行われ、墨象の名称が一般化した。
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