境内墳墓並びに碑石
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徳本上人名号碑 山門前 文化14年(1817年)8月7日 御肖像 一尺余 御弟子本的法子造立 板碑 - 13基現存する最古の板碑は観応2年(1351年)9月建立。 田付景治大居士墓碑江戸幕府より石高五百石をうけた江戸田付四郎兵衛(兵庫助)家(田付流砲術師)墓石。寛永14年(1637年)3月14日没。 田付流の祖である田付兵庫助景澄(かげすみ)の長男で、鉄砲方として江戸幕府に仕えた。景治の養子以降は代々「田付四郎兵衛」を名乗る。田付景澄の二男景豊は14歳で武士の身分を捨て、田付新助と称し近江商人となる。三男正景は大垣藩(現在の岐阜県大垣市周辺)に砲術を伝授。 子孫(分家)には、高岩寺(東京都巣鴨のとげぬき地蔵尊)で配布されている「御影」と版木を納めた「田付又四郎景厖」がいる。
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境内墳墓並びに碑石
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「来迎寺 (香取市)」の記事における「境内墳墓並びに碑石」の解説
板碑(表面阿弥陀三尊来迎図 嘉元4年・1306年) 板碑(阿弥陀如来・観音菩薩・勢至菩薩の梵字) 源氏三将軍墓碑(源頼朝・源頼家・源実朝) 神野角助墓碑 府馬時持(左衛門尉)墓碑 良月妙訓大信女(府馬時持の室おこうの方) 千葉家の墓碑(真阿弥陀仏千葉介常胤・法阿弥陀仏全氏息胤正) 四ツ目藤四郎の墓碑藤四郎は尾張の人、当寺開山明恵上人は茶道を好み茶器を作らせたという。後帰仏して春慶と号す。漆器もまた妙であったという。 清心院円誉理月大信女墓碑戦国武将松平外記頭伊昌の妻おふうの方。酒井忠次の娘で徳川家康の養女である。平生念仏を称え浄土宗に帰依し、遺言によって当寺に遺髪を葬り石碑を建立したという。その後、松平家より毎年茶湯料を寄進され、菩提のため釈迦誕生絵、涅槃絵などを寄進したという。 眞彰院晧誉平胤居士(千葉平胤)
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