堀田本とは? わかりやすく解説

堀田本

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 05:42 UTC 版)

七十一番職人歌合」の記事における「堀田本」の解説

山梨県立博物館2006年平成18年)に収蔵)。紙本着色上・中下の巻子本で、それぞれ題箋があり後筆のペン書きで「上」「中」「下」と記される寸法上巻が縦34.5センチメートル、横1953.1センチメートル中巻は縦34.5センチメートル、横1681.0センチメートル下巻は縦34.5センチメートル、横1797.9センチメートル上・中・下巻構成諸本と同じ。奥書箱書など関連資料皆無であるが、随所に「堀田文庫」の蔵書印(印の寸法は縦7.4センチメートル、横1.6センチメートル)が残され近江堅田藩主で若年寄堀田正敦収集した堀田文庫旧蔵本であることが指摘されている。 諸本との校合によれば堀田本は文言かな文主体である特徴をもつ前育本・東博本との共通性指摘されるほか、注の補訂群書類従本共通している。これらの特徴から堀田本は前育本・東博本と同系統の伝本を基に、屋代弘賢による群書類従本補注参照して校訂されたものである考えられており、中世から伝来した七十一番職人歌合忠実な写本であると同時に同時代の学知を反映させた資料であると評価されている。なお、群書類従本序文によれば絵画部分を住吉内記家の伝本模写したとされており、群書類従本一部職人像は堀田本とのみ共通する特長をもつことが指摘されている。 堀田文庫所蔵し堀田正敦寛政期大名で、好学人物として知られ特に和歌には造詣が深い寛政の改革主導していた松平定信とも親交があり、寛政改革における文教政策振興携わり寛政重修諸家譜』の編纂発案している。 堀田文庫含まれる資料原資料忠実な模写異本との比較校合による検証加えている点が特徴とされ、堀田本の七十一番職人歌合同様の特徴を持つ。また、正敦は群書類従刊行した塙保己一とも親交があるほか和学講談所設立への支援行っており、堀田本七十一番職人歌合のみならず堀田文庫含まれる諸本作製背景はこうした知的ネットワーク存在考えられている。 模写作業開始は『観文禽譜』の完成した寛政6年1794年)頃に想定されており、校合作業開始文化11年1814年)頃に推定されている。堀田正敦天保3年1832年)に死去しているが、堀田本の校合作業中途終了しており、未完成なままとなっている。

※この「堀田本」の解説は、「七十一番職人歌合」の解説の一部です。
「堀田本」を含む「七十一番職人歌合」の記事については、「七十一番職人歌合」の概要を参照ください。

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