地域自治の動きとテロリズム(20世紀末 - 21世紀初頭)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 18:03 UTC 版)
「バリ島」の記事における「地域自治の動きとテロリズム(20世紀末 - 21世紀初頭)」の解説
宗教別バリ州人口の推移(単位:人)ヒンドゥー教イスラム教キリスト教仏教合計1985年2,383,032(93.4%) 132,752(5.2%) 22,085(0.9%) 14,899(0.6%) 2,552,068(100.0%) 1990年2,515,634(93.2%) 140,813(5.2%) 28,279(1.0%) 14,909(0.6%) 2,699,635(100.0%) 1995年2,631,210(93.0%) 158,564(5.6%) 22,215(0.8%) 16,037(0.6%) 2,828,026(100.0%) 2000年2,752,131(91.8%) 180,401(6.0%) 44,951(1.5%) 21,287(0.7%) 2,998,700(100.0%) 2004年2,907,540(91.4%) 186,613(5.9%) 66,720(2.1%) 19,045(0.6%) 3,179,918(100.0%) スハルト政権末期には、中央主導による大規模な開発に対する反対の声が強まり、アダットに根ざした環境保護運動となって現れ、1998年のスハルト政権の崩壊後は、1999年の地方分権法を経て、地域自治の動きが強まっている。そして、その動きを加速させたのが、2度にわたるテロ事件である。バリ島は、欧米先進国からの裕福な白人系観光客が集まるとともに、異教徒であるヒンドゥー教圏であることから、2001年のアメリカ同時多発テロ事件以降のイスラム過激派による国際テロリズムの格好の標的とされたのである。そして、以下の2度の大規模な無差別テロ事件が発生した。 2002年10月12日 : クタ地区の人気ディスコを狙った自爆テロ。犠牲者202名。詳しくはバリ島爆弾テロ事件 (2002年)を参照。 2005年10月1日 : ジンバラン地区及びクタ地区のレストランを狙った同時多発自爆テロ。死者は容疑者3人を含む23名。詳しくはバリ島爆弾テロ事件 (2005年)を参照。 いずれもイスラム過激派ジェマ・イスラミアによるものとされる、この2度のテロ事件によりバリ島の観光業は深刻な影響を受けることになったが、2007年には過去最高の外国人旅行者数を記録するなど、今ではかつての賑わいを取り戻している。しかし、他方で現地社会では、ジャワ島ほかからのイスラム教徒の移民労働者の増加に対する社会不安が高まる一方である。
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