国内規格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 15:47 UTC 版)
「マルコム・マクレーン」の記事における「国内規格」の解説
1950年代後半になるとコンテナは輸送関係者の話題となるが、大半のコンテナは8フィート以下の物ばかりとなり、8フィート以上の物はシーランドとマトソン2社による物であることが1959年に行われた調査から明らかとなっている。各々が使いやすいサイズでコンテナを製造したため互換性が無く、この影響は船だけでなくトラック、鉄道、荷役機器だけでなく荷主まで多岐に渡り、有事の際のロジスティクスに与える影響が大きいことが懸念されたため、1958年、この無秩序なコンテナ開発に終止符を打つべく、アメリカ海軍が後押しする形で連邦海事局(MARAD)が対策に乗り出している。この年の2月専門家会議が開かれるが、コンテナ製造に関する補助金を受けていないシーランドとマトソンの出席は求められていない。会議は紛糾し、唯一絶対の規格を策定することは不可能と判断し、複数サイズを容認することを決定。但し「幅」は標準軌から「8フィート」であること、4隅にスプレッダーが取り付けられる構造を持つことなどは満場一致で可決された。また、当時のヨーロッパは7フィートまでしか対応できなかったが、いずれアメリカの基準が採用されるであろうとの意見が大半を占めている。「高さ」については「8フィート」が多かったが、陸運業界からフォークリフトで乗り入れることができる「8フィート6インチ」案が出され、最終的にこの高さを越えてはならないと決められた。「長さ」に付いては長いコンテナに短いコンテナを積む場合、4点で支持できず構造上加重に耐えることができないとして今後の検討課題とされた。そして最も重要なのは積載時の「最大重量」であり、これはコンテナ、船、トラック、鉄道、荷役機器を製造する際の基準となるため調査が必要であると先送りされた。 規格の統一は既に製造していた大手2社や政府にとって規格外となることで今までの投資や補助金が水の泡になることを意味し、短いコンテナは荷役コストが倍となることで大手は嫌い、プエルトリコ航路の輸送を行っていたブル海運は、変則コンテナもあり、他と連絡しないため独自規格の認可を求め出すなど事態は混乱を極めた。1961年4月14日投票が行われ、海運業者は棄権したが、賛成多数により長さが決まり「10、20、30、40フィート」の4種類となった。ここで今までに無かった「30フィート」が新たに追加されている。40フィートはヨーロッパの道路事情から運搬できず欧州の懸念を汲んだ形となった。アメリカ政府はこのサイズを製造する場合のみ補助金を認める発表を直ちに行っている。
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