喪失と再発見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 06:02 UTC 版)
「キリストの捕縛 (カラヴァッジョ)」の記事における「喪失と再発見」の解説
18世紀後半までに絵画は失われたと考えられ、約200年もの間所在不明であった。1990年、カラヴァッジョの失われた傑作はアイルランドのダブリンにあるイエズス会の建物で認められた。再発見は1993年11月に発表された。 この絵画は1930年代初頭からダブリンのイエズス会の食堂に飾られていた。しかし、カラヴァッジョのオランダ人追随者の一人で、ゲラルド・デッレ・ノッティとしても知られるヘラルト・ファン・ホントホルストによる、失われたオリジナルの複製と長い間考えられていた。この誤った帰属は絵画を最初に依頼したローマのマッテイ家が所有していたときにすでになされていた。1802年、マッテイは絵画をホントホルストの作品としてウィリアム・ハミルトン・ニズベットに売却し、スコットランドのニズベットの自宅に1921年まで掛けられていた。その後の十年間のうちに絵画は特定されないままアイルランドの小児科医マリー・リー・ウィルソンに売却された。そして彼女は最終的に1930年代にダブリンのイエズス会の神父たちに寄贈した。彼女の夫、パーシバル・リー・ウィルソン大尉はウェックスフォード県ゴーリーの王立アイルランド警察隊の地区査察官であったが、1920年6月15日にアイルランド共和国軍によって銃殺されていた。マリー・リー・ウィルソンはその後イエズス会の神父たちの支援に感謝して、絵画をイエズス会に寄贈したのであった。 『キリストの捕縛』は、1990年代初頭にノエル・バーバー神父から依頼を受けたアイルランド国立美術館の上級学芸員であるセルジオ・ベネデッティによって発見され、認定されるまで、約60年間ダブリンのイエズス会の所有物であった。バーバー神父はリーソン・ストリートのイエズス会共同体(バーバー神父が代表であった)の多くの絵画を修復の目的で調査するよう、ベネデッティに依頼していたのである。汚れや変色したニスの層が取り除かれると、絵画の高い技術的質が明らかとなり、カラヴァッジョの失われた絵画として暫定的に認定された。この絵画の真筆性を検証した功績の多くは、ローマ大学の二人の大学院生であるフランチェスカ・カペレッティとラウラ・テスタによるものである。長い研究の期間中に、二人は、小さなレカナーティの町の宮殿地下室に保管されていたマッテイ家の古文書中の、もともとのカラヴァッジョへの注文と支払いを文書化した古く腐敗した帳簿に『キリストの捕縛』についての最初の記録された言及を見出したのである。 この絵画は、ダブリンのリーソン・ストリートにあるイエズス会共同体からアイルランド国立美術館に無期限に貸与されている。イエズス会はマリー・リー・ウィルソン医師の親切な寛大さに感謝している。フランコ・モルマンドがボストン大学のマクマレン美術館で開催した1999年の「聖人と罪人」展の目玉として米国で展示され 、アムステルダムのヴァン・ゴッホ美術館で開催された、2006年の「レンブラント/カラヴァッジョ」展で展示された。 2010年には、カラヴァッジョの死から400周年を記念して、2月から6月にかけてローマのクイリナーレ宮殿で展示された。 2016年には、ロンドンのナショナル・ギャラリーで展示された。
※この「喪失と再発見」の解説は、「キリストの捕縛 (カラヴァッジョ)」の解説の一部です。
「喪失と再発見」を含む「キリストの捕縛 (カラヴァッジョ)」の記事については、「キリストの捕縛 (カラヴァッジョ)」の概要を参照ください。
- 喪失と再発見のページへのリンク