商業飛行の開始
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 20:41 UTC 版)
アメリカのSST研究が停滞している間もコンコルドの開発は続けられており、1969年に初飛行を行い、1976年から商業飛行を開始した。ヨーロッパからニューヨークへの乗り入れは、市民のソニックブームの影響に対する抗議のため、先にワシントンへ乗り入れることとなった。ワシントン線の運航が好評であったため、すぐにニューヨーク線も開設されることとなった。なお、ソニックブームの影響をなくすために、超音速航行を行うのは洋上のみである。 コンコルドの商業飛行が開始されると、アメリカの世論は1960年代とは一変し、AST(先進超音速輸送機 Advanced Supersonic Transport)の名の下に再度、ロッキードSCVなどが計画され始めた。しかし、すでにSSTの経済概念は時代遅れとなっていた。SSTは80-100名の乗客を乗せた亜音速の長距離輸送機を代替するために考案されたが、ボーイング747の様な400名以上を乗せる事ができる大型旅客機には経済性で全く敵わなかった。ボーイング747(の旅客型)は、超音速旅客機実用化後は貨物機に転用できる、というコンセプトが顧客である航空会社への訴求点のひとつだったことは、今日ではほぼ忘れられつつあるその初期のエピソードで、例えば、コクピットが機体上部に張り出して付いていることで、そのままノーズドアを持つ貨物型に改造できる為の大型でもあった。 さらにジェットエンジンの効率でもSSTは不利となった。いわゆる「純ジェット」のターボジェット型から、1960年代のターボファン型の進展による高バイパス比化により、亜音速旅客機の燃費性能は大幅に向上、また更なる低騒音化も達成した。これは、燃焼に関与しない空気を大幅に取り込み、エンジン後方へのジェット(噴流)をより低温化低速化 すると同時に大推力化するものであるから、亜音速機には好適な一方で高速化には不適であり不利である。さらにオイルショックによる燃料費高騰もこれに輪をかけた。これらの相対的なSST運用コストの増大に伴い、SSTの経済性は著しく低下し、AST計画も1980年代初期には消滅した。
※この「商業飛行の開始」の解説は、「超音速輸送機」の解説の一部です。
「商業飛行の開始」を含む「超音速輸送機」の記事については、「超音速輸送機」の概要を参照ください。
- 商業飛行の開始のページへのリンク