周恩来の宿願としての「四つの近代化」とは? わかりやすく解説

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周恩来の宿願としての「四つの近代化」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/21 09:10 UTC 版)

四つの近代化」の記事における「周恩来の宿願としての「四つの近代化」」の解説

この「工業農業国防科学技術」という4部門での近代化は、建国以来中国共産党指導者たちの重要な目標であった1956年には、すでに劉少奇1956年9月中共第8回全国大会における「政治報告」において提唱している。しかし、この劉少奇提案は、「大躍進政策1958年-1960年)の前に実現することはなかった。1964年には、周恩来第3期全人代第1回会議での「政府活動報告」において、これらの4部門の近代化提起している。1973年周恩来は、「四人組」との激し確執を経つつも、中共第10回全国大会主催し林彪事件にも決着付け、さらに鄧小平復活果たした毛沢東周恩来合意の下、1973年3月鄧小平は、国務院副総理職務回復した1975年1月11年ぶりに第4期全人代第1回会議主催した。ここで、周恩来は「政府報告」を行いその中で今世紀内に農業工業国防科学技術全面的な近代化実現し中国国民経済世界前列立たせる」と提唱した。周の基本路線は、<1>アメリカ国交回復することで軍事包囲網解き同時に技術移転封鎖網をも解き、<2>外国から導入する先進プラントを軸に経済建設方向組み立てることであった>。これは必然的に専門家重視する社会組み替えることを意味する言い換えると、<1>は「国際的な階級闘争連帯」の放棄であり、<2>は「肉体労働者政府企業内の段階権力を握らなければならない」という階級論を変えようとするものである。つまり社会主義社会知識有る者、権力有る者が階級という集団をつくり、肉体労働者底辺労働者支配するという毛沢東とその左の思想継承した文革派」を、外交テコ実態崩していく路線であった。しかし、周のこの提唱は、文化大革命嵐の前吹き飛ばされ実現しなかった。文革左派にとって最も耐え難かったことは、専門家実質的な重用であった思われる1976年4月に党の機関誌紅旗』で方海の名で「洋奴哲学批判する」という外国技術導入対す痛烈な批判をしていた。これに対し周恩来は、陳雲王震らの幹部とともに引き続き行政経済立て直し経済整頓)に奔走したが、このときには彼の体をガン蝕んでいた。病床に伏す時間多くなった周に代わって、鄧小平日常工作取り仕切るようになった。しかし、周や鄧の「脱文革」と「整頓建設路線は、文革推進者である江青らの「四人組」激し攻撃にあった1976年1月8日周恩来死去すると、鄧小平後ろ盾失った1月15日に周の追悼集会が開かれ、そこで弔辞述べた鄧小平は、その直後権力の座から引きずり降ろされた。

※この「周恩来の宿願としての「四つの近代化」」の解説は、「四つの近代化」の解説の一部です。
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