名義について
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Des-ROW名義では主にミクスチャー・ロックを、D-crew名義ではテクノなど、曲調で名義を使い分ける。また右寺単独ではなく、アルファのTSUBOI(参加時のメンバー名はYU)とコンビを組んだ際の名義はDes-ROW・組となる。Des-ROW・組も、メンバーによって細かく名義が変わり、5人以上集まった場合が「スペシアル」であるようだ。また、スペシアルのメンバーにTSUBOIが加わらない場合はDes-ROW+○(○は数字やイニシャル)になる。ほかにTOMOSUKEとのユニット「NICK BOYS」にも参加している。 Des-ROW名義でコメント等をする場合、「NICK BOYS」以外の名義について基本的に触れることはなく、D-crew名義の「MY GIFTS」のコメントでは「Des-ROWの曲をアレンジした」とDes-ROWとD-crewは別人であるかのように述べているが、「D-crew」の名義について「自作自演分身」であると語っている。また、雑誌「月刊アルカディア」のインタビューの際に『Dance Dance Revolution SuperNOVA』収録の自身の移植曲として「CURUS」を挙げている。 Des-ROW名義での公式サイト等のコメントでは、ふなふな語と呼ばれる、語尾に「うへ」「ころ」等が付く独特の文体を使い、独特(と言うよりはわざと間違えている)漢字の使い方をし、少々読みづらい(例:怒り→碇 2、3回→二山海)。ただしDes-ROW名義以外では普通の文章である(最近ではD-crew名義でもおかしな口調になりつつあるが)。 Des-ROWの読み方は「ディースロー」または「ディースロウ」であるが、「デスロウ」と読まれることが非常に多い(『pop'n music』のエキスパートモードにも「デスロウコース」というものがある。またbeatnation summitにてDJ YOSHITAKAに「デスロウ兄さんでした〜」と紹介されていた)ため、どちらでもいいと思っているらしい。最初は自分でも「デスロウ」と名乗っていたが、ひどく酔った際に「ディースロー、ディースロー」と連呼している自分がおり、それが気に入って「ディースロー」にしたとのこと。また、Des-Rowと誤記されることも多い(例として、『pop'n music 9』の「男々道」など。『15』時点まで修正されていなかった)。 桜井零士の曲にも提供していることも多く、その時は、leap-dを名乗ることもある。
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名義について
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前述の通り、フォルテミュージックエンタテインメント(FME)所属時代はKYOKO Sound Laboratory(KYOKO)名義で活動しており、その後インディーズ活動を始めるに当たって本名の木村恭子に戻す意向であったが、同姓同名のアーティストが1997年より活動を始めたことや、FME社長である父・木村英俊からの命令もあり、木谷恭子<きや きょうこ>へと改名している。木谷の「谷」は、地名である渋谷や世田谷などの谷の当字である。しかしその後も、面白みに欠けるとの理由から木谷響羽子へ、さらに姓名判断により改名を薦められたことから木屋響子へと、度々表記を変更。木屋の曽祖父でもある梅松が養子縁組した木村家ゆかりの地である気屋村(現・石川県かほく市気屋あ50)という地名を意識して、気屋の気を木村の木にしたとされる。木屋自身もかほく市長の油野和一郎と対面したことがある。 元々本名で活動したかったという気持ちもあり、実際に日本コロムビアからのデビュー当初も木村恭子名義で演奏活動を行っていたことから、改名以降も木屋響子(本名:木村恭子)と表記していた。最終的に2007年に名義を木村恭子および木村恭子KYOKO Sound Laboratory、木村恭子KYOKOへと戻しており、以降は木村恭子名義を基本としつつ2013年からは前述の通り安倍恭子も使用するようになるなど、芸名活動名を臨機応変に使い分ける形で音楽活動を行っている。
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