同時代の批判者
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「ノストラダムス関連人物の一覧」の記事における「同時代の批判者」の解説
フィリベール・サラザン 医師。ジュール・セザール・スカリジェの知人でノストラダムスもアジャン滞在時代に親交を持ったようだが、ノストラダムスがペスト治療でリヨンに赴いた際(1547年)には、サラザンは激しく非難したとされる。非難したのは息子のジャン=アントワーヌ・サラザンとする文献もあるが、生年(1547年生)からしてあり得ない。 アントワーヌ・クイヤール 法曹関係者と推測されている作家。パロディ本『パヴィヨン・レ・ロリ殿の予言集』(1556年)などを出版した。 エルキュール・ル・フランソワ(Hercule Le François) この名前は偽名とされる。プロテスタントのパンフレット作者と推測されているが、正体は特定されていない。『ノストラダムスに対するエルキュール・ル・フランソワ殿の最初の反論』(1557年)を出版し、翌年の再版では「ノストラダムス」を「モンストラダムス」に書き換えた。「モンストラダムス」はモンストル(Monstre, 怪物)とノストラダムスを組み合わせた中傷的な呼称。 ジャン・ド・ラ・ダグニエール(Jean de la Daguenière) 一説にはプロテスタントの神学者テオドール・ド・ベーズの変名とされる。「ラ・ダグニエール」は現メーヌ=エ=ロワール県内の地名のため、その地方の出身者と推測する者もいる。『虚妄の怪物』(Le Monstre d'Abus, モンストル・ダビュ)を出版。タイトルはノストラダムス(当時の発音でノストラダミュ)にかけたもので、暦書の内容について批判している。 ローラン・ヴィデル(Laurens Videl) クロード・ファブリと共同で暦書を刊行したこともあった医師、占星術師。 『プロヴァンス州サロン・ド・クローのミシェル・ノストラダムスの誤謬・無知・煽動の告発』を出版した。これは当時6000部刷られたという。同書では、単なる中傷の一方で、ノストラダムスの星位の算定の誤りなどを的確に指摘している箇所もある。 コンラッド・バディウス 出版業者。プロテスタントの立場から反カトリックの風刺詩などを執筆、出版した。 同時代の書誌学者アントワーヌ・デュ・ヴェルディエは、その書誌の中で1562年に出版されたという風刺詩『我らがノストラダムス先生の美徳』の一節を引用している。この文献の現存は確認されていない。 ウィリアム・フルク イギリスのプロテスタント神学者。ノストラダムスをウィリアム・カニンガムらとともに当時の占星術師の代表格ととらえ、強い批判を展開した。 エチエンヌ・ジョデル プレイヤード派の詩人、劇作家。ノストラダムスの名をもじったラテン語で書かれた風刺的な二行詩の作者とされる。この推定は同時代の書誌学者ラ・クロワ・デュ・メーヌによるものだが、印刷物での初出はシャルル・ユテノーヴ『クセニア』(Charles Utehnove, Xenia, 1568)のようである。
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