コンラッド・バディウスとは? わかりやすく解説

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コンラッド・バード

(コンラッド・バディウス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/21 12:50 UTC 版)

コンラッド・バード(Conrad Bade, 1520年 - 1562年10月)は、フランス生まれの印刷出版業者。自身で著述や翻訳も行っていた。なお、名前は、ラテン語混じりの筆名コンラッド・バディウス (Conrad Badius) の方がよく知られている。ほか、コンラドゥス・バディウス (Conradus Badius) とも称した。

ジョス・バードの息子として生まれ、1545年からパリで出版業を営んだ。1550年にプロテスタントに転向し、活動拠点をジュネーヴへ移した。出版業の傍ら、自身でも、プロテスタントの立場からカトリックを批判したり、風刺したりする著書を次々と執筆した。1562年3月にフランスへ戻り、オルレアンに住んだが、半年程のちにペストにより没した。

著書

版元は基本的に自身の工房である。

  • ジャン・カルヴァン師により1541年に詠われたイエス・キリストへの勝利の歌。フランス語での新たな韻文訳』(ジュネーヴ、1555年)
  • 『コルドリエ会士たちのクルアーン』(ジュネーヴ、1556年/1560年)
  • 『教皇の厨房のキリスト教的サチュロス』(ジュネーヴ、1560年)
  • ローマ教皇や司教たちの生活』(ジュネーヴ、1561年)
  • 『病気の教皇の喜劇』(刊行地の記載なし、1561年)
    この文献はバードの死後も何度も再版された。
  • 『我らがノストラダムス師の美徳』(オルレアン?、1562年)
    この文献だけ異質なようだが、ノストラダムスは1561年に刊行した暦書ピウス4世に献辞を捧げていたこともあって、当時プロテスタントからは教皇主義者 (Papiste) と非難・風刺されていたのである。

コンラッド・バディウス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 14:32 UTC 版)

ノストラダムス関連人物の一覧」の記事における「コンラッド・バディウス」の解説

出版業者プロテスタント立場から反カトリック風刺詩などを執筆出版した

※この「コンラッド・バディウス」の解説は、「ノストラダムス関連人物の一覧」の解説の一部です。
「コンラッド・バディウス」を含む「ノストラダムス関連人物の一覧」の記事については、「ノストラダムス関連人物の一覧」の概要を参照ください。

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