合資会社時代とは? わかりやすく解説

合資会社時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 17:25 UTC 版)

八幡水力電気」の記事における「合資会社時代」の解説

八幡水力電気主催者は、郡上郡八幡町(現・郡上市)の水野兵衛という人物である。水野郡上経由名古屋と金沢を結ぶ鉄道敷設計画起業奔走していたところ、金沢出張した折に同地電灯事業計画進行中であるのを聞いて水力豊富な八幡でも水力発電が可能であると思い立った水野技術者依頼して水力発電適地調査した結果岐阜電灯社長岡本太右衛門紹介され技師大岡正の指導に基づき市街地に近い「乙姫滝」を利用した水力発電所建設することになった1898年明治31年8月八幡水力電気合資会社設立された。会社設立際し岡本から経営全部引き受けると申し出があったが水野はそれを断り岐阜方6対八幡方4の割合出資したという。工事に関してはすべて大岡正が引き受け乙姫滝に三吉電機工場ペルトン水車芝浦製作所エジソン直流発電機備え発電所完成させた。乙姫滝の上にある湧泉水槽造りここから木樋によって導水するという仕組みであった。だが設備完成受けて試験運転取り掛かったものの発電所内に取り付けた電灯明るく輝くことはなかった。大岡機械不良とみてしばらく試行錯誤続けたが、ある朝突如宿から消えていたという。会社では原因水量不足と推測して蒸気機関買い入れ水車とともに転させたところ不十分ながら市中配電が可能となった。 こうして八幡水力電気開業至った逓信省資料によると事業開始1898年11月22日岐阜市岐阜電灯1894年開業)に続く岐阜県2番目の電気事業である。また乙姫発電所出力25キロワット小規模ながら岐阜県内最初事業用水力発電所になった。ただし水力発電所とはいえ満足に運転できるのは豊水期だけで、渇水期には火力発電依存することもあった。工事費火力工事代約5000円別途かかり1万5000円となったが、水野兵衛設計失敗した大岡責めなかったという。電灯数は1901年時点では362灯で、この年は1割の配当出していたがその後灯数が減少し経営悪化した

※この「合資会社時代」の解説は、「八幡水力電気」の解説の一部です。
「合資会社時代」を含む「八幡水力電気」の記事については、「八幡水力電気」の概要を参照ください。

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