モルタ合資会社時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:00 UTC 版)
1931年7月、資本金30万円で「モルタ合資会社」(Mechanismus, Optik und Linsen von TAshima )に組織変更した。この時点ではまだドイツ人2人は在籍していたのにも関わらず会社名から「ドイツ」に相当する文字はなくなり、無限責任社員は田嶋一雄のみで有限責任社員にも名前がなかった。ウィリー・ハイレマンは1931年11月に退社し武庫川上流にシャッター工場を開設し、1932年にビリー・ノイマンも退社して合流、ノイマン・ハイレマン工場となり、田嶋に対抗意識を燃やしていくことになった。ニフカレッテはシリウスベベ、ニフカクラップはシリウス、ニフカスポーツはアルカデアに改名しニフカブランドも廃止された。
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