千代田光学精工時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/09 08:00 UTC 版)
1937年「千代田光学精工株式会社」に組織変更した。不思議なことに由来について何も伝わっていないが、当時の時局柄欧米的造語を避け国粋的な名称を選んだと考えられている。 浅沼商会はモルタ合資会社時代には数ある取引先の一つに過ぎなかったが、1937年12月10日浅沼商会との提携披露宴が開かれ、1938年1月19日に浅沼商会は写真材料店120名を招待しミノルタ製品を披露した。以後ミノルタ製品は浅沼商会の名前で販売されることになり、当時は問屋の力が強かったため場合によっては浅沼商会の広告に「弊社工場に於て謹製」などと書かれる場合もあり、戦前からのカメラファンの中には浅沼商会がミノルタ製品を作っていると誤解していた人も多かった。
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