各メーカーへのOEM供給
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/30 16:19 UTC 版)
「MS-DOS」の記事における「各メーカーへのOEM供給」の解説
IBMは当初「PC DOS」名称でIBMのみへの供給を主張し、マイクロソフトはIBM以外のメーカーへのOEM供給を主張した結果、IBM用はPC DOS名称、マイクロソフトによる各メーカーへのOEM供給も認めて普及を図るという役割分担となったと言われる[要出典]。この役割分担は後のOS/2 Ver. 1.Xでも同様となる。 リスクを軽減化するために買い取りを避けIBM PCの出荷台数に対して使用料を支払うというライセンス契約をしたこと、そしてマイクロソフトから各メーカーへの自由なOEM供給を認めた事が後のマイクロソフトの躍進の原動力と言え、また見方を変えれば、最終的に「軒先を貸して母屋を取られた」IBMの大失策であるとも言えるが、MS-DOS(およびPC DOS)の普及(デファクトスタンダード化)を決定づけたとも言える。[要出典] 1982年、マイクロソフトはバージョン1.25からIBM以外のメーカーにMS-DOSのOEM供給を開始した。ライフボート・アソシエイツ(英語版)のSB-DOS、コンパックのCompaq-DOS、ゼニス・データ・システムズ(英語版)のZ-DOSなど、供給先メーカーは70社以上に及んだ。1983年のバージョン2.0より、IBM以外の各メーカーへのOEM供給品は「MS-DOS」名称に一本化された。OEM供給品に自社の商標(MS)をつけ「MS-DOS」名称としたのは、OEM先メーカーが独自の名前をつけて混乱することを避けるために整理する意味があった[要出典]。ただし、その後も富士通FM TOWNSのTownsOSや各種制御機器など、内部的にMS-DOSがOEM提供されている場合には「MS-DOS」の名称はユーザーには見えない場合があった。 MS-DOSは8086系CPUを搭載したパソコンで動作させることが前提の設計だった。各パソコンには専用のハードウェアがあり、MS-DOSもそれぞれ別のバージョンが作られ、その状況は既存のCP/Mと同様で、CP/Mと同じ方法でハードウェアをエミュレーションして違いを吸収した。これを実現するためMS-DOSはプライマリディスクドライブやコンソールなどの最小限の内蔵ドライバや内蔵カーネルをブートローダーで読み込み、それ以外のデバイスドライバを起動時に動的に読み込めるモジュール方式を採用した。OEM各社はマイクロソフトが提供した開発キットを用い、基本的なI/Oドライバとマイクロソフトの標準カーネルを組み合わせて独自のMS-DOSを作ることができ、普通はハードに添付するディスクの形でユーザーへ届けられた。従って各ハードウェアごとに異なるバージョンのMS-DOSが存在することになり、IBM互換機とMS-DOSマシンの2種類に大きく分類された。Tandy 2000(英語版)のような一部のパソコンはMS-DOS互換だったがIBM互換ではなく、特定のハードやIBM PCのアーキテクチャに依存しないMS-DOS専用に作られたソフトウェアを実行できた。 このデザインはアプリケーションの互換性を高めるのに役立ち、MS-DOSのサービスだけを使ってデバイスI/Oにアクセスする場合は特に有効で、このデザイン方針は後のWindows NTにも影響を及ぼした(Hardware Abstraction Layerを参照)。しかし当時はハードに直接アクセスすることでパフォーマンスを稼ぐアプリが主流を占め、特にゲームではこれが顕著で、各社は次第に独自路線をあきらめてIBM-PC互換機を作るようになり(英語版)、1つのMS-DOSがどの会社のパソコンでも動作するようになった。
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